木曽駒ヶ岳で2度出会った雷鳥——千畳敷カールと、中央アルプスに戻った命

木曽駒ヶ岳の岩陰で休む白と褐色の雷鳥 料理・食文化
岩陰に入ると、まだら模様の羽が周囲に溶け込みます。

山を歩くと、地形、生き物、土地の文化がつながって見えてくる

木曽駒ヶ岳には、これまで2度登っています。そして不思議なことに、2回とも雷鳥に出会いました。

1回目に見たのは、白と褐色の羽が入り混じった個体。岩とハイマツの間にじっと身を置き、周囲の風景に溶け込むようにしていました。

2回目に訪れたとき、山にはすでに雪が積もっていました。そこで出会った雷鳥は、前回よりもずっと白い姿をしていました。

同じ山を歩きながら、季節によって景色が変わり、そこに暮らす生き物の姿まで変わっていく。木曽駒ヶ岳は、山頂からの絶景だけではなく、そんな「高山の世界」を比較的身近に体験できる山です。

今回は2回の登山を振り返りながら、千畳敷カールの成り立ち、雷鳥の生態と中央アルプスでの復活、麓に残る早太郎伝説、そして駒ヶ根のソースかつ丼や温泉施設まで、木曽駒ヶ岳を少し深く楽しむための背景を紹介します。

ロープウェイで、一気に標高2,612mの世界へ

木曽駒ヶ岳登山の特徴は、何といっても標高の高い場所まで一気にアクセスできることです。麓からバスで「しらび平駅」へ向かい、そこから中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイに乗ります。

2回ともバスの混み具合がすごくて、「赤穂タクシー」さんに予約を入れ「しらび平駅」へ向かいました。料金は5,000円かからなかったぐらいです。

「しらび平駅」の標高は1,662m。終点の千畳敷駅は2,612mです。ロープウェイだけで、高低差950mを一気に上がります。この高低差は日本一とされています。

登山を始める前から、すでに平地とはまったく違う環境に入っているわけです。そのため木曽駒ヶ岳は、3,000m近い山の世界を体験しやすい山として人気があります。

一方で、「ロープウェイで行ける」という言葉だけで簡単な山だと考えるのは危険です。標高が高ければ、気温は低く、風も強くなります。天候が変われば、同じ登山道でも状況は大きく変わります。

実際、私が訪れた2回でも山の姿はかなり違いました。1回目は岩肌と枯れた高山植物が目立っていましたが、2回目には登山道や山小屋の周囲にも雪が積もっていました。

一度歩いたことがある山でも、季節が違えば別の山になる。木曽駒ヶ岳は、そのことをとても分かりやすく教えてくれます。

千畳敷カールは、巨大な「氷河の跡」

ロープウェイを降りて最初に目に入るのが、千畳敷カールです。巨大な岩壁が半円形に取り囲み、その下に広い斜面が広がっています。初めて見ると火山の火口のようにも感じますが、千畳敷カールは噴火によってできた地形ではありません。

「カール」とは、かつて存在した山岳氷河が長い時間をかけて山肌を削り、お椀のような形になった地形です。千畳敷カールは、約2万年前の氷河期に形成されたと考えられています。「千畳敷」という名前も、畳を千枚敷けるほど広いことに由来します。

そう知ってから改めて眺めると、景色の見え方も変わります。目の前にある巨大な窪地は、人間が生まれるはるか以前から続いてきた地球の変化が残した痕跡です。

登山では、つい山頂ばかりを目的地として考えてしまいます。

しかし地形の成り立ちを少し知るだけで、「どこまで登ったか」だけではなく、「いま自分は何の上を歩いているのか」という楽しみ方が加わります。

千畳敷から乗越浄土へ——山の表情が一気に変わる

千畳敷から木曽駒ヶ岳へ向かうと、まず急な斜面を登って「乗越浄土」を目指します。下から見上げると、岩壁の間に登山道が通っています。

ロープウェイ駅周辺では観光地に近い印象もありますが、登り始めると風景は急速に「山」へ変わります。足元には大きな岩が増え、振り返れば千畳敷カールが下へ広がっていきます。

「乗越浄土」まで上がると、今度は木曽駒ヶ岳、中岳、宝剣岳などへ続く稜線の世界です。ここまで来ると木々はほとんどなく、岩と背の低い植物が中心になります。

標高が高くなり、低温や強風などによって背の高い樹木が育てなくなる境界を「森林限界」と呼びます。その先に広がる高山帯は、人間にとっては厳しい環境ですが、その環境に適応した植物や動物にとっては大切な生息地です。

1回目の登山では、濃ヶ池・駒飼ノ池方面へ

最初に木曽駒ヶ岳を訪れたときは、山頂周辺だけではなく、濃ヶ池・駒飼ノ池方面にも足を延ばしました。山頂を往復するだけのピストン登山とは違い、歩く場所が変わると見える風景も変わります。岩ばかりだった稜線から少し下れば、池が現れ、その周囲には植物が広がっています。

同じ木曽駒ヶ岳という一つの山の中でも、標高や地形によって環境は均一ではありません。岩峰、ハイマツ、池、草地。こうした異なる環境が細かく組み合わさっていることが、高山の生物多様性にもつながっています。

そしてこの1回目の登山で、岩とハイマツの間に雷鳥を見つけました。

岩陰にいた、白と褐色の雷鳥

最初は、本当に岩の一部かと思いました。白い部分と褐色の部分が入り混じった羽が、周囲の花崗岩や植物の色によく馴染んでいました。近くで見ると丸みのある体つきをしていますが、少し離れると驚くほど風景の中に溶け込みます。

日本の雷鳥は、キジ科に属する鳥です。

環境省によると、日本のライチョウは北半球北部に広く分布するライチョウの一亜種で、本州中部の高山帯に隔離して生息しています。

夏羽は白・黒・茶色のまだら模様になり、冬羽になると尾羽を除いてほぼ全身が白くなります。さらに日本のライチョウは年に3回換羽し、季節に応じて羽の姿を変えます。

1回目に見た個体も、白と褐色が混ざった姿をしていました。

写真だけから換羽の正確な段階まで断定することはできませんが、季節によって羽色を変える雷鳥の特徴を実感できる姿でした。

そして興味深いのは、雷鳥がいた「場所」です。雷鳥の後ろには大きな岩があり、足元には背の低いハイマツがあります。

日本の雷鳥は主に標高2,200〜2,400m以上の高山帯で繁殖し、ハイマツ林や岩石帯などを生息場所としています。ハイマツの根元などに巣をつくり、高山植物の芽や種子などを食べます。

つまり、

岩+ハイマツ+雷鳥

という組み合わせそのものが、高山帯の生態系を表しています。「雷鳥を見た」という経験も、生き物単体ではなく、生息環境と一緒に見ると理解が深まります。

2回目。山にはすでに雪が積もっていた

2回目に木曽駒ヶ岳を訪れると、山の表情は大きく変わっていました。千畳敷にも、乗越浄土の先にも雪が残っています。山小屋の周囲も白くなり、中岳山頂の岩の間にも雪が入り込んでいました。

1回目には山頂から濃ヶ池・駒飼ノ池方面まで歩きましたが、このときはそちらへは向かわず、山頂からロープウェイに真っ直ぐ戻ろうとしました。

夏や秋の写真だけを見ていると、登山道はいつもそこにあるように思えます。しかし雪が積もれば、足元の岩や道の境界は隠れます。さらに風や気温も変わります。山では「前に来たことがある」が、そのまま安全の保証にはなりません。

そして、この雪の中で再び雷鳥に出会いました。

雪の中に、白い雷鳥がいた

最初は、どこにいるのか分かりませんでした。白い雪と岩の間に、白い雷鳥がいます。1回目に見た個体とは明らかに印象が違いました。

体の大部分が白く、遠くから見ると雪の中に溶け込んでしまいます。冬になるとほぼ全身が白い羽へ変わるのは、雷鳥の特徴の一つです。これは単に「冬用の色に着替えている」というだけではありません。高山で生き残るための保護色として機能します。

夏の岩と植物の中ではまだらな羽が周囲に馴染み、雪に覆われる季節には白い羽が雪景色に馴染む。

季節が変わるたびに、雷鳥自身の身体も山の色へ近づいていきます。

2回の木曽駒ヶ岳登山で違う姿の雷鳥を見られたことで、私は「季節が変わる」ということを景色だけではなく、生き物の身体からも実感することになりました。

中央アルプスから、なぜ雷鳥はいなくなったのか

地元の方からは、「昔の木曽駒ヶ岳では、山へ上がってきた猿に雷鳥が食べられ、それでいなくなった」という話も聞きました。

実際、ニホンザルは現在の雷鳥保全でも無視できない存在です。北アルプスでは雷鳥の雛を捕食する様子が確認され、中央アルプスでも2020年、ニホンザルが孵化直後の巣へ近づいたことをきっかけに、5羽の雛が死亡したと考えられています。現在も木曽駒ヶ岳周辺ではサルの追い払いが行われています。

ただし、1969年を最後に中央アルプスから雷鳥が姿を消した原因そのものは、一つに特定されているわけではありません。

捕食者の侵入、高山植生の変化、人間による山岳利用の拡大など、複数の要因が重なった可能性があります。地元に残る「猿によっていなくなった」という話も、そうした山の環境変化を人々がどのように記憶してきたのかを示す一つの証言として捉えるのがよさそうです。

雷鳥を見つけることが、研究の一部になる

木曽駒ヶ岳で雷鳥を見つけたとき、ただ写真を撮って終わりではありません。山小屋などで雷鳥を見た場所や時刻を記録し、調査へ情報提供できる仕組みがありました。

これは実際に中央アルプスの保全事業で使われてきた方法です。

環境省は、しらび平駅、千畳敷駅、宝剣山荘、頂上山荘などに「ライチョウ目撃情報収集カード」を設置し、登山者から目撃場所や日時、足環の情報などを集めていました。2021年度には95件の記録が寄せられ、そのうち写真や位置を確認できた31件が確実な観察記録として採用されています。中には研究者が頻繁に調査できない地域での記録もあり、個体の生存確認や雛の数を追跡する重要な資料になりました。

つまり、登山者自身がフィールド調査の「目」になることができます。

現在は長野県が「ライポス」というライチョウ目撃情報投稿アプリを運用しており、位置情報と写真を送ることで、保護対策の基礎データに協力できます。この仕組みは、かつて山小屋に設置されていた「ライチョウポスト」を引き継いだものです。

もし雷鳥を見つけたら、追いかけるのではなく、静かに観察する。

そして安全な距離から、

日時、場所、個体数、足環があればその色、写真

を記録する。

「珍しい鳥を見られた」で終わらず、その発見が次の保全につながるそうです。

高山帯から森林へ——帰り道でニホンカモシカに出会う

2回目の登山では、雷鳥だけでなく、バスで山を下る途中にニホンカモシカにも出会いました。

車窓の向こう、秋の森の中に立っていた一頭です。

「カモシカ」という名前からシカの仲間を想像しますが、実際にはウシ科の動物です。かつて狩猟によって数を減らしたため保護が進められ、1955年には国の特別天然記念物に指定されました。

この一日の中で、標高の高い岩とハイマツの世界では雷鳥を見て、森林帯へ戻る途中ではニホンカモシカを見ることになりました。

木曽駒ヶ岳では、ロープウェイとバスを使って大きな標高差を移動します。そのため景色だけではなく、植物や動物が暮らす環境も短時間のうちに変わっていきます。

麓の光前寺——早太郎だけではない、苔と桜の古刹

木曽駒ヶ岳の麓、駒ヶ根には光前寺があります。

訪れたときにまず目に入ったのは仁王門でしたが、光前寺は「霊犬・早太郎伝説の寺」というだけではありません。

境内全域は「光前寺庭園」として国の名勝に指定されており、仁王門から三門、本堂へ続く伽藍、杉並木、庭園、周囲の樹林までが一つの景観として保存されています。

そして光前寺を特徴づけるものの一つが、「光苔」です。

参道の石垣の隙間や本坊客殿の縁の下などにはヒカリゴケが自生しています。名前から自ら光を出す植物のように思えますが、そうではありません。暗い場所に入った自然光を反射することで、緑色に光っているように見えるそうです。

さらに春になると、光前寺はしだれ桜の名所になります。

境内には約70本のしだれ桜があり、仁王門や大講堂周辺を中心に花を咲かせます。不動滝桜や鐘楼近くには樹齢約200年とされる古木も残り、開花期には夜間ライトアップも行われます。

私が訪れたのは桜の季節ではありませんでしたが、仁王門の前に立つ枝を見れば、春にこの場所の印象が大きく変わることは想像できます。

そして、この寺でもう一つ語り継がれているのが早太郎です。

約700年前、光前寺で飼われていた早太郎が遠州・見付へ連れて行かれ、人身御供を要求していた怪物を退治したという伝説です。寺の伝承では、その怪物は老ヒヒだったとされています。戦いで深傷を負った早太郎は光前寺まで戻り、そこで息を引き取ったと伝えられています。現在も本堂横に墓があります。

木曽駒ヶ岳では、現実の高山生態系の中に暮らす雷鳥を見つけ、麓の光前寺では、光苔を鑑賞し、春にはしだれ桜が咲き、さらに人々が700年近く語り継いできた早太郎という動物の物語に出会えます。

下山後は、駒ヶ根のソースかつ丼へ

下山後の楽しみもあります。

1回目は「ガロ」でソースかつ丼を食べ、その後「こまくさの湯」へ。2回目は「明治亭」へ行き、ソースかつ丼と蕎麦を食べました。

長野県によれば、駒ヶ根市内でソースをかけたカツ丼が提供されるようになったのは昭和初期。当時のカフェ「喜楽」の主人が、カツレツやオムレツなど広がり始めていた洋食文化から着想を得たという逸話が残っています。

ご飯の上に千切りキャベツを敷き、その上にソースをまとったカツをのせる。今では駒ヶ根を代表する食文化になっています。

明治以降、日本に入ってきた「洋食」が地方の町で独自に変化し、長い時間をかけて郷土料理になっています。ソースかつ丼一杯にも、日本の近代食文化の一端を見ることができます。

いつか、木曽駒ヶ岳で見た雷鳥を陶器に

登山後に強く印象に残ってるのは、雷鳥の形。

1回目に見た、白と褐色が入り混じる姿。

2回目に見た、雪の中に溶け込むような白い姿。

写真には残っていますが、いつか別の形でも残してみたいと思っています。現在考えているのが、雷鳥をモチーフにした香合や香立てです。ただ鳥の姿を陶器にするのではなく、できれば木曽駒ヶ岳で見た姿を起点にしたいと思います。

百名店 明治亭 駒ヶ根本店

コメント

タイトルとURLをコピーしました