国宝を「見る」から「つくる」へ——野々村仁清と尾形乾山に学ぶ、色絵茶碗の設計

野々村仁清と尾形乾山から学んで制作した二つの色絵茶碗を並べた比較写真。 セラミック・作品
仁清から学んだ一碗と、乾山から学んだ一碗を並べた比較写真。

金沢と根津美術館で名品を見て、「形・色・文様・余白」を自分の二碗へ置き換える

以前、金沢を訪れたとき、石川県立美術館で野々村仁清の国宝《色絵雉香炉》を見ました。そのときから、強く印象に残っている作品です。

その後、書籍で仁清について調べるうちに、東京の根津美術館で、仁清と尾形乾山の作品を実際に見る機会にも恵まれました。

そして今、私の手元には、これから絵付けをするたの白い茶碗があります。

今回は金沢で見た国宝から出発して、野々村仁清とは何者だったのか、その色絵の何が革新的だったのか、尾形乾山と比べると何が見えてくるのか、そして自身の茶碗制作へのヒントを考えてみたいと思います。

茶の湯と工芸の街・金沢

兼六園を歩けば、池、水路、石、樹木、茶亭が一つの景観として組み立てられています。金沢城へ行けば、巨大な石垣や門、建築そのものが加賀藩の歴史を伝えています。その周囲には、茶の湯、能、漆工、染織、陶磁器といった文化が重なっています。

加賀前田家と茶の湯との関係は深く、藩祖・前田利家と2代利長は千利休から茶の湯の指導を受け、3代利常は小堀遠州、金森宗和、千宗旦らと交流しました。後には宗旦の四男・仙叟宗室も加賀藩に仕えています。石川県立美術館も、こうした歴史を、石川が茶の湯文化の重要な拠点となった背景として位置づけています。

また同時に、前田家は京都などから職人を招き、工芸を保護・育成しました。現在の金沢が「工芸の街」と呼ばれるのは、単に古い技術が残ったからではなく、権力者が文化を収集し、人を招き、作らせ、それを次の世代へ伝える仕組みを作った歴史があるからです。

その金沢で、京都の陶工・野々村仁清の作品を見ることになります。

野々村仁清とは何者か

「野々村仁清」は17世紀、京都・仁和寺の門前に御室窯を開いた陶工です。

本名は清右衛門。仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」から「仁清」と称したとされます。瀬戸で轆轤の技術を学び、御室窯では赤、紺、緑、紫、黒などの色絵具に金銀彩まで用いて、絵画性の高い色絵陶器を制作しました。

ここで重要なのが、茶人・金森宗和の存在です。宗和は後水尾院を中心とする宮廷文化と関わりながら、優美な茶風を築いた人物でした。仁清は宗和との関係のなかで、従来の茶陶とは異なる、華やかで洗練された器を生み出していきます。

つまり仁清の器には、陶工の技術、茶人の美意識、宮廷文化、そして茶の湯という用途が重なっています。器は一人の芸術家の孤立した表現ではなく、その時代の文化的なネットワークから生まれているのです。

国宝《色絵雉香炉》——色だけを見ていると半分も見えない

《色絵雉香炉》は、ほぼ実物大の雉を陶器で表現した香炉です。緑、紺青、赤などの上絵具に金彩を使い、羽根の一枚一枚が描き分けられています。

確かに色彩は華やかです。けれど、気になるのはむしろ形のほうでした。細長い首。大きく膨らんだ胴。そこからほぼ水平に伸びる長い尾。

石川県立美術館の解説によれば、この尾を水平に保ったまま成形し、焼成すること自体が極めて難しい技術だったといいます。しかも作品は上下二つに分かれ、背には香の煙を通す孔まで設けられています。造形と機能と絵付けが、最初から一体として設計されているのです。

首から胴へ視線が移り、羽毛の反復が身体の丸みに沿い、その流れが最後に長い尾へ抜けていく。色は形を飾るためではなく、形をより強く感じさせるために使われています。

なぜ仁清の国宝が金沢にあるのか

京都で活動した仁清の代表作を、なぜ金沢で見たのでしょうか。

石川県立美術館の茶道美術コレクションは、《色絵雉香炉》を所有していた金沢の山川家の茶道具を重要な核としています。明治期の金沢について、数寄者・高橋箒庵は、武士だけでなく広く市民が茶事、謡曲、書画、骨董を嗜んでいた土地として記しています。

金沢は、名品を「作った場所」ではなく、受け取り、所有し、使い、伝えてきた場所なのです。

京都で作られた作品が人の手を渡り、茶の湯の文化のなかで受け継がれ、やがて金沢の美術館に残される。作品の歴史は、窯から出た瞬間には終わりません。作られた歴史と同じくらい、残された歴史も重要なのだと思います。

美術館の外にも続いている、金沢の文化

今回あらためて金沢を歩いてみると、この街の面白さは、美術館の展示ケースの中だけにあるわけではないと感じます。

兼六園では、園内の喫茶店で抹茶をいただきました。庭園を歩いたあとに一碗の抹茶を前にすると、茶碗は単なる鑑賞対象ではなく、もともと人の手に取られ、茶を飲むための道具だったという当たり前のことを思い出します。

美術館ではガラス越しに見る茶碗も、本来はこうして人の手の中にあった。陶磁器を「美術品」として見る視点と、「使う器」として見る視点。その二つを往復できることも、茶の湯文化が現在まで残っている土地を歩く面白さなのだと思います。

ひがし茶屋街では、木造の町家が並ぶ街並みの中にある「自由軒」に立ち寄りました。伝統的な茶屋建築の町で洋食を食べるという組み合わせは、よく考えてみると不思議です。

江戸時代の城下町の上に、明治以降の文化が重なり、さらに現在の生活が続いています。古い町並みの中で洋食を食べるという体験そのものが、金沢が一つの時代だけで出来ているわけではないことを教えてくれます。別の日には「金澤ななほしカレー」にも立ち寄りました。

伝統的な茶の湯があり、城下町があり、近代の洋食があり、現代美術館があり、その横で現在の飲食店や生活が続いている。金沢21世紀美術館まで歩けば、その感覚はさらに明確になります。

仁清の17世紀の陶器を見た同じ日に、現代建築や現代美術を見ることができる。数百年前の陶磁器から現在の表現までが、同じ街の中で連続しています。

もう一つの仁清——《銹絵水仙文茶碗》

仁清というと、どうしても《色絵雉香炉》や華やかな茶壺の印象が強くなります。しかし京都国立博物館に伝わる《銹絵水仙文茶碗》を見ると、そのイメージが少し変わります。

この茶碗では、赤や緑、金銀を華やかに散らしているわけではありません。胴に白泥を薄く盛り上げて水仙をレリーフ状に表し、その上から褐色の銹絵を施しています。

色数は少ない。それでも、水仙の葉の鋭い線、花のわずかな盛り上がり、何も描かれていない地の余白によって、静かな緊張感が生まれています。

しかもこの茶碗は、金森宗和が自身と母の菩提寺である天寧寺へ施入した茶道具の一つで、「宗和好み」を示す典型的な作例とされています。ここでは仁清の技術だけでなく、宗和が茶席でどのような器を求めていたのかまで考えることができます。

茶碗では、《色絵鱗波文茶碗》や《色絵鱗波文茶碗》も面白い作品です。茶壺の華麗さとはかなり印象が違い、大きな面積を釉薬で覆う一方で下地も残し、そこへ植物や幾何学文様を配置しています。絵、釉薬、土の色が三つの異なる面として存在し、器を一周しながら一つの構成になっています。

華麗な色絵の仁清と、静かな銹絵の仁清。二つを並べると、仁清を単純に「色鮮やかな京焼を作った人」と理解することはできなくなります。彼が扱っていたのは色そのものではなく、器形、土、釉薬、盛り上げ、線、色、そして余白をどう組み合わせるかという、造形全体だったのだと思います。

最初は「仁清らしい文様を茶碗に描こう」と考えていました。しかし調べているうちに、本当に学ぶべきなのは文様ではなく、釉薬、素地、文様、余白を器の形にどう配分するかという設計そのものだと気づきました。

仁清から乾山へ——京焼の「絵」はどう変わったのか

仁清について調べていくと、その先に必ずと言っていいほど現れる名前があります。「尾形乾山」です。

乾山は1663年生まれ。兄は、のちに琳派を代表する絵師となる尾形光琳です。

京都国立博物館によれば、仁清が発展させた上絵付をはじめとする製陶技術は、乾山を含む後世の京焼陶工に大きな影響を与えました。また、乾山(尾形深省)が残した技法書『陶工必用』は、仁清の製陶技術を考えるうえでも貴重な資料になっています。

ただし、乾山は仁清の様式をそのまま受け継いだわけではありません。面白いのは、仁清が切り開いた「陶器を絵画的な表現の場にする」という可能性を、乾山が別の方向へ押し広げたことです。

根津美術館で実物を見て、印象が変わった

書籍資料を読んでから根津美術館へ行き、《色絵山寺図茶壺》と乾山の《銹絵染付金彩絵替土器皿》を実際に見てきました。ちょうど開催されていた企画展「やきもの名品紀行中国・日本・朝鮮半島」の中に仁清と乾山があったのラッキーでした。

まず意外だったのは、仁清の茶壺の大きさ。写真では堂々とした大壺のように見えていたものが、実物は高さ22.3センチ。想像していたよりずっと小さい。山、桜、寺院、雲、金銀彩といった多くの情報が、わずか20センチほどの器の曲面に凝縮されていました。

写真で見ていたときには「華やかな絵付け」にまず目が向きますが、実物を前にすると、むしろ小さな立体のなかに一つの風景世界を成立させる構成力の方が印象に残りました。金彩に筆の跡が残っているのも見てよかったポイントです。

正面を見たあと、少し身体を動かすと別の山が現れ、寺院が現れ、色の重なりが変わります。仁清の絵は、平面の絵画を器に貼り付けたものではなく、人が器の周囲を移動することまで含めて成立する絵画なのだと思いました。裏面は展示で見れなかったので図録も購入しました。

一方で、乾山の5枚の皿を見たときには、まったく違う感覚が。

梅や帆掛け船、流水といった具体的なものが描かれている。それなのに、少し離れて見ると、何が描かれているかより先に、黒、白、藍、金の面や線が目に飛び込んでくる。個人的には、抽象画を見るときに近い感覚でした。

モチーフを写実的に描くことよりも、円形の中に線をどう走らせ、黒い面と白い面をどう分け、どこへ金を置くか。その構成そのものが作品になっているように見えます。

資料で見ていたときにも仁清と乾山の違いは理解していたつもりが、実物を並べて見ることで、その違いがより明確になりました。

仁清は立体を絵画化し、乾山は器の表面を画面化している。

もちろん、実際の作品をすべてこの図式で説明できるわけではありません。それでも二人を続けて見ると、仁清によって陶器が絵画へ近づき、乾山によって陶器・絵画・デザインの境界がさらに曖昧になっていく、という流れが見えてきます。その先には、「琳派」と呼ばれる装飾的な美意識と重なる世界が広がっています。

自分がこれから茶碗に絵を描こうとしている立場から見ると、この違いは非常に示唆的でした。

茶碗を「立体」として考えるのか。そこに現れる一つ一つの面を「画面」として考えるのか。自分の制作でも、まずここから考えてみたい。

見る側から、作る側へ

さて、手元の白い茶碗の話に戻ります。

仁清について調べる前なら、私はまず「何を描こうか」と考えていたと思います。しかし今、最初に考えたいのは、どこに何も描かないか、です。

茶碗は平面ではありません。正面があり、側面があり、裏側があり、上から覗けば見込みがある。手に持てば回転し、茶席では置かれる向きも変わります。絵付けとは、一枚の絵を茶碗へ貼り付けることではないかもしれません。

器を一周しながら、どこで絵を始め、どこで止め、どこで色を強くし、どこで土や釉薬そのものを見せるのか。その全体を考える必要があります。

仁清から学ぶなら、器の曲面をどう使うか。乾山から学ぶなら、一つの面の中で、線、色、文様、余白をどう構成するか。

二人からなぜそこに線を引いたのか、なぜそこを白く残したのか、なぜ金をそこへ置いたのか。その判断を読み取り、自分の制作へ置き換えてみること。歴史的な作品を学ぶとは、昔の形をコピーすることではなく、作品を成立させた「考え方」を取り出すことなのだと思います。

二つの茶碗で試している、仁清と乾山の違い

今回は、仁清と乾山からそれぞれ一碗ずつ制作しています。

乾山を意識した茶碗では、五色を使いながら、茶碗をどの方向から見ても色が視界に入るように配置しました。この構成を考えるときに意識したのが、根津美術館で見た仁清の《色絵山寺図茶壺》です。

仁清の茶壺は、一方向だけに正面があるというより、壺を回すことで山や寺院、樹木などの景色が次々と現れます。立体である器そのものを、一周する絵画空間として扱っているように見えました。乾山の作品には、仁清とは異なる、より平面的で抽象化された感覚があります。

そこで今回は、乾山の色彩や図案の構成をそのまま写すのではなく、仁清の茶壺から感じた「どの方向から見ても絵が続いている」という考え方を組み合わせました。五色を一つの正面に集めるのではなく、茶碗を回したときにも別の色の組み合わせが現れるようにしています。

一方、仁清を意識した茶碗では、まったく別の難しさがありました。取り組んでいるのは、曲面上に連続する三角形の鱗波文様です。

平面の紙に三角形を並べるのと、茶碗の曲面に同じ文様を展開するのでは感覚がかなり違います。口縁から胴、高台へ向かって曲面が変化するため、下絵の段階で三角形の角度や大きさ、連続の仕方を何度も修正しました。

さらに実際に上絵を置いてみると、もう一つ問題が出てきました。今回使っている溜釉、九谷赤、そして金彩では、描き方の感覚がかなり違います。

特に三角形の部分は、細い線で輪郭を取るというより、溜釉を一定の面積に置きながら「面」として三角形を成立させなければならない。そのため、下絵では整っていた幾何学模様を、実際の上絵でも同じ精度で出すことが想像以上に難かったです。

現在は、まだ上絵焼成前の状態。ここからまず溜釉を焼き付け、三角形の色面を定着させます。その焼成結果を確認したうえで、さらに金彩を加え、もう一度焼成する予定です。

金彩は通常の上絵とは焼成条件が異なるため、一度ですべてを完成させるのではなく、

色の面を焼き付ける → 金彩を重ねる → 再び焼く

という複数の工程を踏むことになります。

美術館で仁清の作品を見ていると、幾何学文様はあまりにも自然に器の曲面へ収まっています。でも、自分で茶碗作りに向き合ってみると、完成した作品を見るだけでは分からなかった仁清の技術が、少しずつ具体的見えてきました。

次の焼成で、この下絵と上絵が実際にどう変化するのか楽しみです。完成するまでこの記事は追記・更新予定です。

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