たばこと塩の博物館から読む、たばこの文化史

たばこと塩の博物館に再現された昭和のたばこ販売店 デザインソース
自動販売機が普及する以前、たばこ店は街角の小さな販売拠点であり、地域の日常風景の一部だった。

一枚の葉が世界を渡り、日本で工芸になるまで

たばこというと、現在ではまず「吸うもの」、そして健康問題を連想する人が多いと思います。しかし、たばこと塩の博物館を歩いていると、それだけではこの植物の歴史をほとんど説明できないことに気づきます。

たばこは、もともとはアメリカ大陸に生えていた一つの植物でした。

それが大西洋を渡り、世界商品になり、植民地経済を動かし、日本へ伝わると煙管や煙草盆を生み、やがて紙巻たばこ、マッチ、パッケージ、広告、自動販売機へと姿を変えていきます。一枚の葉の周囲に、これほど多くの道具、産業、デザイン、習慣が生まれてきました。

今回、東京・墨田区にある「たばこと塩の博物館」を訪れながら考えたかったのは、人間は、なぜたばこの周囲にこれほど巨大な文化をつくったのか。ということでした。

現在の「たばこと塩の博物館」は2015年に墨田区横川へ移転したものですが、もともとは1978年に渋谷・公園通りで開館した博物館です。

さらに収蔵の歴史を遡ると、1932年、大蔵省専売局が浮世絵や喫煙具などの歴史資料を組織的に集め始めたところまで辿れます。

そこにはすでに、「このままでは江戸以来の喫煙文化を伝える道具が失われる」という問題意識がありました。紙巻たばこが広がる一方、それまで使われてきた煙管や煙草入れ、煙草盆が生活から消え始めていたからです。 

たばこは、最初から「商品」だったわけではない

まず押さえておきたいのは、たばこが植物の名前だという、ごく基本的な事実です。

現在世界で最も広く栽培されているのは、学名を「ニコチアナ・タバカム」というタバコ属の植物です。その起源は、南米アンデス山中、現在のボリビアからアルゼンチン国境付近に求められると考えられています。 

そして、アメリカ大陸ではヨーロッパ人が到達するはるか以前から、たばこが使われていました。しかも利用法は「紙で巻いて吸う」だけではありません。葉を吸う、噛む、嗅ぐ。

地域によってさまざまな方法があり、古代メソアメリカでは、たばこは神々への供物や儀式にも用いられていました。煙そのものが、地上の人間と天上の神々を結ぶものとして理解されることもあったといいます。 

ここは、現代の私たちがたばこを見るときに忘れやすいところです。現在は「商品」として完成された状態からたばこを見るため、最初から箱に入り、価格がつき、店で売られていたように感じてしまいます。

しかし文化の順序としては逆です。植物があり、人間が意味を与え、使い方が生まれ、その後に商品になる。たばこの歴史を見ることは、人間が自然物をどのように文化へ変えていくのかを見ることでもあります。

1492年——たばこが大西洋を渡る

その歴史が大きく変わるのが、15世紀末です。1492年、コロンブスの一行が西インド諸島へ到達します。

現地の人々から果物などとともに乾燥した葉を贈られたことが、ヨーロッパ人とたばこの初期の接触として伝えられています。その後、大航海時代の人と物の移動にともなって、たばこはヨーロッパへ渡りました。

同じ時代、新大陸からヨーロッパへはトウモロコシやジャガイモなどが渡り、逆方向には麦、米、牛、馬などが運ばれています。たばこも、この世界規模の植物・動物・人間の移動の一つでした。 

つまり、たばこの歴史だけを単独で見るより、「大航海時代によって世界の食物や植物の配置そのものが変わった」と考えた方が理解しやすいかもしれません。

現在では当たり前に「その国のもの」と思っている作物も、長い歴史の中では国境を越えてきたものが数多くあります。たばこもその一つでした。

嗜好品になったとき、世界史が動き始める

ヨーロッパへ渡ったたばこは、当初は薬用や観賞用としても扱われましたが、次第に嗜好品として広がっていきます。 

「嗜好品」とは、生きるために絶対必要なものではないけれど、味や香り、刺激、時間そのものを楽しむために消費されるものです。

お茶やコーヒー、酒なども同じように考えられます。そして、ここからたばこは利益を生み出す商品へ変わっていきます。

17世紀初頭、イギリス人が北米に建設したヴァージニア植民地のジェームズタウンでは、当初期待された金などから十分な利益を得られませんでした。

そこで重要になったのが、ジョン・ロルフによるたばこ栽培でした。

1612年頃から行われた栽培実験が成功し、たばこはイギリス向けの重要な輸出品となっていきます。アメリカ国立公園局も、たばこをヴァージニア会社が待ち望んでいた換金作物だったと位置づけています。 

ここまでは「成功物語」に見えます。しかし商品が大量に売れるということは、誰かが大量に作らなければならないということでもあります。

たばこ栽培には多くの労働力が必要でした。当初はヨーロッパからの年季奉公人も使われ、その後、アフリカから強制的に連れてこられた人々と、その子孫が重要な労働力になっていきます。1619年にはヴァージニアへのアフリカ人到着が記録され、その後、法制度の変化とともに人種を基礎とする終身奴隷制が形成されていきました。 

この部分は、別の記事で奴隷貿易、プランテーション、ヴァージニア経済まで詳しく考えたいと思います。

重要なのは、きれいな商品だけを見ても、その商品を成立させた世界全体は見えないということです。

パッケージの表側にはブランド名があります。しかし、その裏側には土地、労働、交易、国家、制度があります。

これはたばこに限らず、コーヒーでも綿でも砂糖でも、商品を見るときに使える視点です。

日本に渡ったたばこは、そのまま使われなかった

では、日本ではどうなったのでしょう。

日本へたばこが伝来したのは16世紀末と考えられています。慶長年間には、すでに絵画の中に喫煙する人々が描かれるようになり、17世紀には日本社会の中へかなり早く浸透していきました。

一方で、幕府はたびたび禁令を出しています。当初、たばこが「かぶき者」と呼ばれる人々のシンボルとして使われたことや、米などではなく換金性の高いたばこを栽培する農民が増えたことも、その背景にありました。

しかし禁令で文化の広がりを止めることはできませんでした。元禄期頃には禁令も形骸化し、たばこは庶民の嗜好品として定着していきます。 

そして興味深いのは、海外から入ってきた文化が日本でそのままコピーされなかったことです。日本では葉を非常に細く刻み、煙管に詰めて吸う文化が発達しました。

現在の刻みたばこでは約0.1ミリという細さのものもありますが、その基礎となる加工技術は江戸時代に発達したものです。 

外から入ってきた文化を、その土地の技術と美意識で作り直す。ここから、たばこが日本の工芸史とつながります。

煙管だけでは吸えない——だから「道具の文化」が生まれた

煙管(きせる)でたばこを吸うには、煙管だけを持っていても成立しません。

刻みたばこがいる。火がいる。灰を落とす場所もいる。すると、それらを収納し、運び、客の前に出すための道具が必要になります。そこで煙草入れや煙草盆が発達していきました。

煙草入れはやがて、単なる収納袋を超えて、腰から提げたり着物の襟元から見せたりする装身具として発達します。博物館は、これを当時の「ファッションアイテム」としても説明しています。 

煙草盆も同様です。火入れ、灰を落とす道具、刻みたばこを納める器などを一つにまとめ、生活の中で使われました。

さらに客を迎える場にも置かれ、木工、漆工、金工などの高度な職人技が投入されたものまで作られます。煙草盆の原型については、香道の「香盆」を転用したものとする説もあります。 

煙を吸う行為そのものより、その周囲の道具に着目すると、たばこ文化は工芸史にもなります。

これは茶道を習っていると、お稽古で煙草盆を用意します。煙草盆の火入の灰を整えました。はいはぐるっと金属の棒でかき混ぜ、空気をたっぷり含ませてから中央を高く盛り上げ、灰を押さて放射状や同心円状の美しい筋を等間隔に入れえていきます。そして中央に火種の炭を乗せてお客を迎える準備を整えます。

現代の生活で普段煙管を使うことはほとんどなくなりました。それでも「客を迎えるための調度」として、形や所作が別の文化の中に残っています。文化とは、昔の使い方を完全な形で保存することだけではないのかもしれません。

明治になると、煙管から「紙」へ主役が移っていく

明治時代になると、日本のたばこ文化に大きな変化が起こります。紙巻たばこ、つまりシガレットの登場です。

19世紀後半、欧米で紙巻たばこが本格的に生産されるようになり、日本にも輸入されます。博物館によれば、当時の日本人にとって紙巻たばこは単なる新製品ではなく、「ハイカラ」な西洋風俗の象徴でもありました。

そして輸入品の美しい印刷やパッケージそのものが、人々を驚かせたといいます。 ここが、今回かなり興味を持ったところです。

江戸時代、喫煙者の美意識は、煙管、煙草入れ、根付、煙草盆などに表れていました。ところが紙巻たばこになると、商品そのものが最初から紙に包まれています。

すると今度は、箱そのものが、持ち主の目に入り、人に見られるデザインになります。煙管や煙草入れに投入されていた装飾性の一部が、近代になるとパッケージ、ロゴ、書体、色彩へ移動していった、と見ることもできそうです。

この仮説は、『昭和たばこ図鑑』や『タバコの巻き紙コレクション』を使いながら、別の記事にしてみたいと思っています。

数センチ四方の紙の中に、人物、動物、国旗、風景、異国趣味、タイポグラフィが詰め込まれ、たばこの歴史は、ここからグラフィックデザイン史にも変わっていきます。

マッチ、自動販売機、たばこ屋——たばこは「街の風景」になった

もう一つ展示で面白かったのが、商品の周囲に生まれた街の風景です。

明治から昭和へ進むと、たばこは店頭のショーケース、看板、マッチ、広告、自動販売機などと結びつきます。

日本では1904年の煙草専売法によって、葉たばこの買い上げから製造・販売まで国の管理下に置かれる製造専売が成立しました。その後、大蔵省専売局、日本専売公社へと制度が引き継がれ、1985年まで専売の時代が続きます。 

現在見ると、こうした販売店や自動販売機には強烈な「昭和らしさ」を感じます。しかし当時の人々にとっては、これはレトロデザインではありません。ただの日常でした。

私たちは古い看板や箱、自動販売機を見ると、つい「昔のデザインは格好いい」とすら評価してしまいます。

文化史を見るというのは、「古いものを懐かしむ」こととは少し違います。

なぜその形になったのか。
なぜ街中に大量に存在したのか。
人々はそれをどう見ていたのか。

昔の人にとっての「普通」を読み直すことも自分の重要視してるリサーチです。

そして、箱そのものが広告になる

紙巻たばこの時代には、箱は単なる容器ではなくなり、ブランド名、色、書体、図像など、それらを組み合わせることで、「どんな人が吸う商品なのか」というイメージまで作れるようになります。

そして、20世紀になると、たばこ産業は広告やマーケティングを大規模に展開していきます。自由、成功、成熟、反抗、男性性、女性性、仲間意識など、商品そのものの味とは別に、人がなりたい人物像を商品へ結びつけられていきます。ここまで来ると、たばこの箱を見ることは、広告史や消費社会を読むことにもなります。

一方で現在のパッケージには健康警告が大きく表示されています。

かつてブランドが自由に使っていた箱の表面へ、現在では健康情報が入り込んでいます。企業がブランドを語り、国家が健康リスクを語る。消費者はその両方を見ながら商品を手に取ります。

たった一つの箱からでも、時代の価値観の変化が見えてきます。

たばこを入口にすると、世界史がつながっていく

今回の記事だけでも、南米アンデスの植物から始まり、古代メソアメリカの儀礼、大航海時代、ヴァージニア植民地、大西洋世界、日本の江戸文化、茶の湯、明治の西洋化、近代産業、グラフィックデザイン、昭和の都市景観までつながりました。

これが、文化史を調べる面白さだと思います。

「たばこ」という一つのテーマを追っているつもりが、いつの間にか世界史、工芸史、デザイン史、経済史へ横断しています。

物を深く見ていくと、専門分野の境界は意外なほど簡単に崩れます。そして今回、まだ書き切れていないことがたくさんあります。

タバコ栽培と奴隷制は、どのようにつながっていったのか。
煙草盆や煙管は、なぜこれほど高度な工芸品になったのか。
数センチのたばこパッケージに、なぜこれほど優れたグラフィックデザインが投入されたのか。日本で作られ、アメリカへ輸出された奇妙な灰皿は、どんな社会を映しているのか。
葉巻と紙巻たばこでは、同じ「たばこ」でも文化がなぜこれほど違うのか。

これらは、いずれそれぞれ一本の記事として掘り下げていきます。

燃えて消えるものを、残す

このテーマを調べ始めたのは、歴史への興味だけが理由ではありません。きっかけは、自分の制作のためのリサーチでした。

タバコ、マッチ、箱、灰皿、ライター。たばこにまつわる物の多くは、使えば消えていきます。タバコは灰になり、マッチは燃え尽き、箱は捨てられる。広告は次々に差し替えられ、街角の自動販売機もいずれ撤去されます。だからこそ、こうした物は後の時代になると、当時の日常を伝える資料になります。博物館に並ぶ品々も、はじめから歴史資料として作られたわけではなく、もとは誰かが普段使っていた日用品でした。

私が制作で扱っているのも、そういう物です。道端で拾った、焼け焦げたマッチ箱。アメリカ向けに輸出されていた、日本製の骸骨の灰皿。欠けていた顎は半磁器土で作り直し、その灰皿がeBayから届いたときの段ボール箱まで陶器にしました。

なぜこんなことをしているのか、自分でもうまく説明できずにいました。それが今回たばこの文化史を調べるうちに、少し言葉にできるようになった気がします。人の暮らしを伝えるのは、大切に保存されてきた物だけではない。使われ、燃やされ、欠け、捨てられていく物にも、その時代の技術やデザイン、価値観、欲望が刻まれています。

だから、消えていく物を拾い、調べ、ときには別の素材に置き換えてみる。燃えて消えるはずの物を、窯の火で焼いて残す。

たばこと塩の博物館を歩きながら見えてきたのは、たばこの歴史だけではありませんでした。ありふれた日用品ひとつからでも、その時代の世界が見えてくる。そう実感した一日でした。

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