日本の古着はどこへ行く? タイの買付現場からアフリカ、ナムジ人形まで

チャトゥチャック デザインソース
チャトゥチャック

——モノの価値は誰が決めるのか

2026年の今年、ヴィンテージショップのタイ買付に2回同行した。

タイには巨大な古着卸市場があり、倉庫や店舗には世界中から集まってきた衣料が山のように積まれている。

その中から一着ずつ服を見て、年代を推測し、タグを確認し、生地を触り、縫製を見て、価値のあるものを探していく。

そんな経験をした後、たまたまNHK『所さん!事件ですよ』を見ていたら、自分たちが実際に回った古着市場の一つがが登場した。

番組では、日本の古着について「生地がよくて軽い」といった現地での評価が紹介されていた。

確かに、日本から輸出された中古衣料が海外で商品として再評価されるという話は面白い。

ただ、実際に買付現場を歩いてみると、もう少し複雑な景色が見えてくる。

古着は単に、

「日本で不要になった服が、海外で再利用される」

という綺麗な一本道を進んでいるわけではない。

そこには真贋、情報格差、流行、気候、物流、SNS、そして廃棄まで含めた巨大なシステムが存在する。

そして今回、その古着の話が、たまたま別に調べていたアフリカのビーズ文化と一本につながった。

そこで改めて考えた。

モノの価値とは、いったいどこに存在するのだろうか。

タイの古着市場で見る「日本古着人気」の裏側

タイの古着市場を実際に歩くと、とにかく物量がすごい。

Tシャツ、スウェット、デニム、ミリタリー、スポーツウェア。

アメリカ、日本、ヨーロッパなど、さまざまな場所を経由してきた衣料が同じ空間に並んでいる。

そこには当然、価値の高いものもあれば、ほとんど値段の付かないものもある。

そして注意しなければならないのがフェイクだ。

特に人気の高いヴィンテージTシャツ。

ロックバンドT、ラップT、映画Tなどの市場価格が上昇した結果、当然ながら偽物を作る経済的インセンティブも大きくなる。

実際に現地を歩いていると、ヴィンテージとして販売されているTシャツの中にも、疑わしいものはかなり混じっている。

問題は、それを買う人がいるということ。

日本から来た若いバイヤーも例外ではない。

古着は新品と違って、メーカーの公式サイトを見れば真贋が分かるという世界ではない。

タグ、ステッチ、ボディ、プリント、生地。経年変化。サイズバランス。

そして、その年代にその仕様が本当に存在したのか。

複数の情報を組み合わせて判断する必要がある。

つまりヴィンテージ市場では、

「古いものを見つける能力」以上に、「自分が何を見ているのかを判断する能力」が価値になる。

値札が付いているから価値があるのではない。

誰かが「ヴィンテージ」と書いたからヴィンテージになるわけでもない。

市場価格が高くなればなるほど、知識そのものが経済的価値を持つようになる。

そもそも、いつから90年代が「ヴィンテージ」になったのか

ここで面白いのが、「ヴィンテージ」という言葉そのものだ。

古着の世界では、かつて50年代前後を中心とした古いアメリカ衣料などをヴィンテージとして扱い、それより新しい大量生産時代の衣料を「レギュラー」と呼び分ける感覚が強かった。

ところが現在はどうだろう。

90年代のTシャツが普通に「ヴィンテージ」と呼ばれている。

場合によっては2000年代の衣料までヴィンテージとして売られている。

もちろん言葉の定義に絶対的な境界線があるわけではない。

しかし重要なのは、

服そのものが変化したのではなく、服を見る社会の側が変化した

ということ。

かつて数千円だったバンドTに数万円、数十万円の価格が付く。

昔なら「普通の中古品」だったものが、時間の経過、希少性、著名人の着用、SNS、コレクター市場などによってカテゴリーを移動する。

つまりヴィンテージとは、単純に「古い」という物理的属性だけではない。

社会によって作られる価値カテゴリーでもある。

Made in USAが減り、別のものに希少価値が生まれる

戦後のアメリカは、衣料を含め大量生産・大量消費社会を拡大させた。

しかしその後、衣料産業では生産拠点の海外移転が進んでいく。

アメリカブランドであっても、実際の生産地はアジアや中南米へ移っていく。

その結果、古いMade in USAの衣料そのものに希少性が生まれる。

新品として売られていた当時には、「アメリカ製だから将来高騰する」と思われていなかった服まである。

しかし生産構造そのものが変わったことで、過去に大量に存在したものが、後から希少品へ変わる。

そして市場は次の価値を探す。

その一つがバンドTやラップTだった。

ボディそのものはTシャツだ。

しかし、

どのバンドなのか。どのツアーなのか。何年なのか。どんなグラフィックなのか。誰が着たのか。どのボディが使われているのか。

そうした情報が重なることで、一枚の中古Tシャツに大きな価格差が生まれる。

値段を作っているのは綿だけではない。

希少性、歴史、物語、知識、流行、そして市場参加者の合意が値段を作っている。

なぜタイではTシャツが強いのか

タイで古着を見ていて個人的に面白かったのが、気候とファッションの関係だった。

とにかく暑い。

東京やロンドン、NYのように、重衣料を使った複雑なレイヤリングには物理的な限界がある。

必然的にTシャツやシャツ、ショーツなどの軽衣料がファッションの中心になりやすい。

すると服だけで差異を作れる範囲が狭くなる。

そこで髪、タトゥーそしてアクセサリーなどの身体そのものの装飾が相対的に強くなる。

現地で感度の高い若者を見ていると、この関係が非常に興味深かった。

つまりファッションは、

「今これが流行っているから」

だけでは説明できない。

気候、都市、生活環境という制約に適応してファッションそのものが形成される。

「価値のない重衣料」を集めるという逆張り

番組には、東アジアで古着を集めてきた人物としてサリーム氏が登場していた。

タイや東アジアの気候を考えれば、重いジャケットやコートの国内需要は限定される。

だから現地では相対的に価値が付きにくい。

しかし、それを別の市場へ持っていけば話は変わる。

ここに古着買付の本質の一つがある。

「安いものを買う」のではなく、「ここでは価値がないが、別の場所では価値があるものを見つける」。

場所によって生じる価値差を見つける仕事。

世界的なヴィンテージブームが現在ほど加熱する以前なら、この情報格差はさらに大きかったはず。

現地では誰も気にしていない。

しかし日本へ持って帰れば欲しがる人がいる。

その差を知っていること自体が利益になった。

しかしSNSが「情報格差」を破壊した

ところが現在、この構造はSNSによって大きく変わっている。

世界中の人が、ほぼ同じ商品画像と価格を一瞬で見ることができる。

昔なら東京の一部の古着屋しか知らなかった知識を、今ではタイの若いディーラーもスマートフォンで知ることができる。

アメリカで何が高騰しているのか。

日本でどんなバンドTが人気なのか。

著名人が何を着たのか。

昨日まで無名だった服が、翌日には世界中で検索される。

知識の地理的な価格差が縮小している。

だから古着買付は、以前より明確に「世界戦」になっていると感じる。

情報を持っているだけでは勝ちにくい。

情報が世界中に拡散する速度が速すぎるからだ。

すると今度は、

誰より早く見つける。

誰より正確に真贋を判断する。

独自の仕入れ先を持つ。

まだ評価されていないカテゴリーを発見する。

独自の文脈を付けて販売する。

そうした能力が重要になる。

日本で不要になった服は、その後どこへ行くのか

古着の旅はタイで終わらない。

中古衣料は国境を越え、世界規模の市場を形成している。

国連環境計画(UNEP)は、中古衣料には手頃な価格の衣服を提供し、特にインフォーマルセクターで社会的・経済的利益を生み出す側面がある一方、リサイクルインフラが不十分な地域では、輸入された衣料の廃棄が環境問題を引き起こす可能性も指摘している。

つまり、

中古衣料=循環型社会

と単純には言えない。

しかし、

中古衣料=先進国から途上国へのゴミ輸出

とだけ考えるのも正確ではない。

同じ流通の中に、再利用、雇用、商売、安価な衣料へのアクセス、そして廃棄。

という複数の側面が同居している。

ここで突然、アフリカンビーズの本とつながった

この番組を見ていた日、自分はまったく別の目的でアフリカについて調べていた。

アクセサリー制作のリサーチとして、アフリカンビーズの本をめくっていた。

そこで偶然見つけたのが、ナムジ人形だった。

カメルーン北部のNamji groupによる木彫像には、木で作られた人体像にビーズ、金属、子安貝などを組み合わせたものがある。

造形が不思議で非常に面白い。

西洋彫刻のように人体を写実的に再現するというより、単純化された木の身体に大量の装飾物が付加されることで、全体として強烈な存在感を持つ。

調べてみると、ニューヨークのメトロポリタン美術館にもNamji groupの作品が収蔵されている。

Met所蔵の一例は19〜20世紀、カメルーン北部のもので、素材は木、ビーズ、金属、子安貝。

僕が本で見て興味を持った造形と同じ文化圏に属するものだった。

「欲しい」と思ってメルカリを開いたら、そこにも世界市場があった

造形が気に入ったので、

「日本でも買えるのかな?」

と思ってメルカリを検索してみた。

約1万円で売れた個体が出てきた。

一方で、その個体が別アカウントで15万円で転売されていた。

それでも面白かった。

なぜなら、直前まで見ていた古着の流通と、完全に逆方向の流れが見えたからだ。

中古衣料では、

日本

海外市場

さらに別の地域

へ物が移動する。

一方、ナムジ人形では、

カメルーン

国際的な民芸・美術市場

日本

メルカリ

という移動が起きている。

世界の端と端にあるように見える市場が、一つのスマートフォンの画面でつながっている。

「民芸」が「アート」になるとき

カメルーンで生まれた木彫像が日本へ来る。

すると販売ページでは、「アフリカ民芸」、「プリミティブアート」、「民族美術」、「インテリア・オブジェ」、「コレクターズアイテム」

など、さまざまな言葉で説明される。

さらに同じ文化圏の作品がMetのような美術館に収蔵されれば、今度は「美術作品」という制度的な文脈の中で鑑賞される。

物体そのものは急に変化したわけではない。

変わったのは、それを囲む場所、言葉、人、制度。

これはマルセル・デュシャン以降の現代美術を考えるときにも馴染みのある問題だ。

物そのものだけでなく、

どこに置かれたのか。

誰が選んだのか。

何と呼ばれたのか。

誰が価値を認めたのか。

それによって意味が変化する。

同じ物体が「ゴミ」「商品」「民芸」「アート」を移動する

ここで、古着とナムジ人形が一本につながった。

日本で不要になった一着の服。

カメルーンで作られた一体の木彫像。

まったく違うものに見える。

しかし、世界を移動するという点では似ている。

ある場所では価値がない。

別の場所へ持っていくと価値が生まれる。

さらに別の場所へ移動すると、今度は別のカテゴリーに入れられる。

だから、

同じ物体でも、場所と文脈が変わるだけで、
「ゴミ」「商品」「古着」「ヴィンテージ」「民芸」「アート」「コレクション」の境界を移動する。

ヴィンテージショップは何を売っているのか

一口に「ヴィンテージを扱う」と言っても、

アメリカ現地まで行って買い付ける。

タイなど第三国の市場で買い付ける。

日本国内のセカンドハンドショップから探す。

フリーマーケットを回る。

メルカリやヤフオクなどECで仕入れる。

業者からまとめて仕入れる。

さまざまな方法がある。

そして、

実店舗を持つ。

ECだけで売る。

SNSだけで集客する。

ここにも違いがある。

同じ一着を販売していても、その店が行っている仕事は同じではない。

現地まで行く人には、現地へ行くコストとリスクがある。

膨大な服の中から選ぶ人には、選択する知識が必要になる。

フェイクを排除するには真贋判定能力が必要になる。

店舗を持てば、空間そのものを編集する必要がある。家賃も発生する。

写真を撮る。

文章を書く。

歴史を説明する。

顧客へ提案する。

つまり優れたヴィンテージショップが売っているのは、古い服だけではない。

探索、選別、鑑定、編集、文脈、信用まで含めて売っている。

「転売」と「キュレーション」の境界はどこにあるのか

では、安く買って高く売れば、すべて転売なのだろうか。

商売という意味では、商品を仕入れて利益を乗せて販売する行為そのものは珍しいものではない。

では、なぜある販売者は「目利き」と呼ばれ、別の販売者は「転売屋」と呼ばれるのか。

おそらく、その間には、

探索しているか。

真贋を判断できるか。

修復や手入れをしているか。

歴史を調べているか。

新しい顧客へ紹介しているか。

独自の市場を作っているか。

そして何より、価格差以外の価値を加えているか

という違いがある。

もちろん境界は明確ではない。

これは古着に限らず、骨董、美術、家具、時計、レコードなど、あらゆる中古市場に共通する問いだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました