見るだけではわからなかった。手捏ねと削りから知る、樂茶碗のかたち


装飾らしい装飾はほとんどなく、色もほぼ黒一色。それなのに、日本の茶碗の歴史を語ろうとすると、この器を避けて通ることはできません。
それが、黒楽茶碗。
私自身、茶道を習いながら陶芸を続けていますが、これまで黒楽、赤楽、志野、織部、三島など、茶碗を実際に作ってきました。
今回はその中から黒楽について、歴史を調べ、京都の樂美術館を訪ね、自分でも二碗を制作しました。自分の手で作ってみると、それまで「黒い茶碗」として見ていたものが、まったく違って見えてきます。
そもそも楽茶碗とは何なのか。
なぜ轆轤を使わないのか。
なぜ黒なのか。
そして、同じ黒い茶碗でも、なぜ一碗一碗がこれほど違って見えるのか。
今回は制作の過程を追いながら、黒楽茶碗の面白さを考えてみたいと思います。
楽茶碗は「今焼」と呼ばれた新しい焼物だった

重要文化財 桃山時代


楽焼が始まったのは、桃山時代の16世紀。初代・長次郎が、千利休の侘茶の思想を受けながら茶碗を作ったことが、その始まりとされています。
現在では伝統的な茶道具の代表格という印象がありますが、面白いのは、生まれた当時には「楽焼」という名前すらなかったことです。樂家の公式資料によれば、初期の楽茶碗は「今焼茶碗」と呼ばれていました。
つまり「いま作られた新しい焼物」。樂美術館はこれを英語で“Art now”とも表現しています。
現在から見ると古典そのものですが、16世紀の人々にとっては、むしろ見慣れない前衛的な器だったわけです。それまでの日本には、中国陶磁や朝鮮半島から渡ってきた器、瀬戸などで焼かれた陶器など、さまざまな茶碗がありました。
その中で利休と長次郎が生み出した茶碗は、装飾を削ぎ落とし、手の中に収まる器そのものへ意識を集中させていきます。
長次郎の代表的な黒楽茶碗「大黒」について、文化庁は、砂混じりの赤土を用いて手作りされ、口がわずかにすぼまり、腰に丸みを持つ素直な形と説明しています。
華やかさによって見せるのではなく、形そのものを見せる。ここからすでに、黒楽の面白さが始まっています。
「樂」という名前にも由来があります。この茶碗は「今焼」のほか、「聚楽焼(じゅらくやき)」とも呼ばれていました。その後、豊臣秀吉が自分の邸宅「聚楽第」から一字をとった「樂」の金印を授けたと伝えられ、茶碗にその印を押すようになりました。そこから焼き物の名前も「楽焼(楽茶碗)」へと変わっていきます。
やがて、焼き物の名前として定着した「樂」を、作り手の一族が家の名前として名乗るようになりました。これが、今日まで続く「樂家」です。
なぜ楽茶碗は轆轤を使わないのか


陶芸というと、多くの人が最初に思い浮かべるのは轆轤ではないでしょうか。回転する土の中心に手を置き、指を使って土を立ち上げていきます。ところが、伝統的な楽茶碗は基本的に轆轤で挽きません。
文化財として残る長次郎の茶碗も、手捏ね(てずくね)で成形し、箆(へら)で削って形を整えたものです。
今回の自分の制作も、平たいハンバーグのような土の塊から始まりました。土を締めながら底を作り、指を使って少しずつ側面を立ち上げていきます。「器を回転させながら作る」というより、土の塊の中から茶碗を探し出していくよう意識しました。
轆轤では遠心力が働くため、円形へ向かおうとする力があります。しかし手捏ねでは、少し押せばそこだけ凹む。厚みも変わって、口も簡単に歪みます。つまり、人間の手の動きが、そのまま形に残ります。
黒楽茶碗の胴のあたりには、よくこの指あとによるくびれがあります。茶碗を持ったときに指がかりがよく、手になじむ造形です。さらに、このわずかな絞りや起伏によって、光沢のある黒釉のたまりや垂れに変化がつき、茶碗に表情が生まれます。こうした造形の特徴が、茶碗の銘の由来になることもあります。
つまり、「轆轤を使わない」ということは、単に昔の原始的な作り方を残しているという話ではありません。均一になる力から、あえて離れていると考えると、楽茶碗の不均一な造形が意図的なものとして見えてきます。
なぜ黒なのか
利休が目指した侘茶は、華やかな唐物道具を並べる茶から離れ、簡素なものの中に深さを見出そうとする茶でした。黒は、その考え方をもっとも純粋なかたちで器にした色だといえます。
黒い茶碗に点てた濃茶の緑は、闇の中に浮かぶように映えます。茶碗が主張するのではなく、茶と、それを飲む人の所作が引き立つ。黒楽の「黒」は、何かを足すための色ではなく、余計なものを引くための色なのだと思います。
長次郎は赤と黒の樂茶碗を作りましたが、利休はとくに黒を好んだと伝えられています。
黒楽を自分で作ってみて興味深かったのは、黒一色になることで装飾よりも形そのものが前に出てくることでした。
絵付けがなく、色彩による華やかさも抑えられています。その分、口縁の線、胴の膨らみ、釉薬の厚み、光の反射、土肌の凹凸が目立ちます。
自分の茶碗でも、焼成後に黒釉がかかると、成形時には気にならなかった輪郭の弱さや、口縁の厚み、胴の重さが逆にはっきり見えるようになりました。
黒く焼けば完成するわけではありません。むしろ黒になることで、形の未熟さまで露わになります。
黒楽は、黒いだけの茶碗ではない



初代長次郎から歴代の樂家まで、さまざまな黒楽茶碗があります。ひと口に黒楽といっても、すべてが同じ形ではありません。
丸みを帯びたものや筒形に近いもの。口が内側に抱え込むものや、胴が張ったもの。低く平たいものや、大きく歪ませたものもあります。また、釉薬を全面に掛けたものもあれば、土を見せるものもあります。黒の中に褐色や赤が現れているものもあります。
二代目の常慶になると、器形を大きく沓形に変形させる作品も現れ、樂美術館はそこに当時の古田織部による織部茶碗との共通性を指摘しています。さらに三代目の道入では黒釉、白釉、透明釉を組み合わせるなど、長次郎とは異なる装飾的な表現も生まれていきました。
つまり「楽茶碗の伝統」とは、一つの完成形を450年間コピーし続けることではなく、基本となる思想や技法を受け継ぎながら、歴代がその時代の感覚を茶碗に込めているということ。これは樂美術館を訪ねた時にも強く感じたことでした。
黒しかないからこそ、形が見える



黒楽を見ていると、不思議なことがあります。色彩を減らしているはずなのに、見る場所が増えるのです。
茶碗には見どころがたくさんあります。口縁、胴、腰、高台、見込み、茶溜まり、ヘラ跡、釉薬の厚み、土肌、黒の光沢、柚子肌のような肌合い、そして黒の中に現れる、褐色や鈍い赤。
たとえば長次郎の重要文化財「ムキ栗」は、胴を四方形にした独特の造形を持ち、内側には穏やかな凹凸が残ります。また窯から引き出した際についた鉄鋏の痕跡まで残されています。
色彩という情報を減らすことで、別の情報が見えてきます。黒楽を見る面白さの一つは、ここにあるのだと思います。
黒楽の「黒」は、絵具の黒とは違う
伝統的な黒楽では、黒呈色の材料として京都の加茂川石が用いられてきました。現代の黒釉でも、加茂川石粉を基本材料とするものがあります。一般的な低火度の楽釉より高い温度が必要で、黒楽ではおよそ1000〜1200℃前後の高温域で焼かれるものが中心とされています。
そして特徴的なのが、「引き出し」という焼成方法です。焼成を終えて窯が冷えるまで待つのではなく、釉薬が溶けた高温状態の茶碗を、火バサミで窯から取り出して急冷します。陶芸というと「窯に入れたら翌日まで待つ」というイメージがありますが、その常識とはかなり違う方法です。今回の制作では、真っ赤になった茶碗を水の中に入れて冷やしました。
この急熱・急冷によって、土は焼き締まりきらず、軽くやわらかな質感になり、釉薬にも独特のしっとりとした表情が生まれます。そのため、急激な温度変化に耐えられる、粗い素地・粘土が使われます。
その土について、樂家には大切な伝統があります。京都の聚楽第跡の周辺などで採った土を、すぐには使わず、長い年月寝かせてから使っているのです。しかも、自分が使うのは先祖が寝かせておいた土で、自分が採った土は子や孫の代のために残します。こうして約100年という時間をかけて、土が代々受け継がれています。
樂美術館へ行ってみる



京都の樂美術館にも足を運びました。樂家は桃山時代以来、京都の同じ土地で窯の火を継いできました。現在の樂美術館も樂家に隣接し、歴代の作品を所蔵・展示しています。
驚いたのは、自分で作る前と作った後では、同じ茶碗を見ても視線が変わることです。以前なら、「黒い」「形が歪んでいる」「格好いい」程度で終わっていたかもしれません。
ところが一度作ると、「この口はどう作ったのだろう」「ここはどこまで削ったのか」「なぜこの部分だけ土を残したのか」「この高台で器全体をどう支えているのか」「この釉薬の境界は意図なのか、焼成によるものなのか」という疑問がたくさん出てきます。
作品を見る行為が、鑑賞から観察へ変わっていました。
黒楽を自分で作ってみる



今回は自分で二碗制作しました。同じ「黒楽」をテーマにしていても、二つをまったく同じものにはしませんでした。
一つは、黒釉を主体として黒そのものの表情を見る茶碗です。四代一入作の「嘉辰」をお手本に作ってみました。焼成後に赤みを出すために朱塗りをし、一筆一筆、釉薬を乗せていきます。口から胴にかけて釉薬に厚みを持たせるために、幕釉(まくぐすり)を塗ります。
もう一つは、素地を残し、黒と土の境界そのものを見せる茶碗です。十三代惺入の「八千代」をベースにしました。防水のためにまずラテックスを塗り、こちらも黒釉を一筆ごと塗ります。そしてラテックスを剥がした場所に黄ハゲ薬を塗っていきます。
難しいのが、生土の成形の際に「整えすぎないこと」です。どうしても左右対称にしたくなります。歪んでいるところを直したい。表面を平滑にしたい。口縁の高さを揃えたい。意識しないと、だんだん潔癖になっていきます。
楽茶碗の場合、それを全部直してしまうと、今度は手で作った意味がなくなってしまいます。もちろん、ただ雑ならいいわけでもありません。「作れないから歪んだ」のか。「形を理解したうえで残した歪み」なのか。この差をいつも意識して陶芸に臨んでいます。
映画『嘘八百』に見る楽茶碗づくり
黒楽について考えるうえで、もう一つ面白い入口があります。2018年の映画『嘘八百』です。
舞台は、千利休を生んだ大阪・堺。中井貴一演じる古物商と、佐々木蔵之介演じる陶芸家が、「千利休の幻の茶器」をめぐる騒動に巻き込まれていきます。
面白いのは、陶芸家が利休の茶器を研究し、自分の手で「それらしいもの」を作ろうとするところ。前述した手捏ねの成形、楽窯での急熱、引き出しによる急冷が、画面の中で描かれています。佐々木蔵之介さんの手つきや火バサミの扱いも堂に入っていて、撮影前に陶芸の稽古を積んで臨んだと言われています。
偽物作りの物語でありながら、作っている工程は本物の楽焼そのもの。そんな皮肉で贅沢なつくりになっています。
物語の核心にあるのは、「本物とは何なのか」という問いです。二人が目指すのは、ただ古い器をコピーすることではなく、「本物よりも凄いモノ」を作ること。黒楽を実際に作ってみたあとでこの映画を見ると、この設定が以前よりずっと面白く感じられます。
なお、シリーズ第2作『嘘八百 京町ロワイヤル』では、題材が古田織部の幻の茶器へと移ります。黒楽から織部へ、千利休から古田織部へ。歴史好きにも楽しめるシリーズです。
完成品より、次の一碗が重要になった



陶芸を始めた頃は、焼き上がった茶碗を見て「うまくできたか、失敗したか」で判断していました。しかし黒楽を作り、樂美術館で歴代の作品を見てからは、少し見方が変わりました。
自分の茶碗のどこが弱いのかを具体的に見るようになったのです。
たとえば、胴の張りをどおこまで作り、腰をどこまで削るのか。口縁にどの程度の変化をつけるのか五山にするのか。こう考えていくと、一碗作って終わりではありません。
長次郎から現在の十六代樂吉左衞門まで樂家が茶碗を作り続けてきたように、自分自身も一つ前の茶碗を材料にして、次の一碗を作っていくことになります。
今見ると、最初に作った黒楽には直したいところがたくさんあります。実際に幕釉を厚めに塗ったものは泡が出てきてしまいました。その厚みを一度削り直し、また釉薬を塗って完成させました。
このような試行錯誤や、何か「足りなさ」が分かるようになったこと自体が、制作によって得られたものだったのだと思います。


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