Reading the Sake Culture of Sado and Niigata through "Kintsura" - Water, Rice, Crested Ibis, "Kura" (warehouse), and Hokuetsu Seppu (Snow Chronicles of Northern Japan)

新潟県佐渡市にある加藤酒造店・金鶴の酒蔵外観 Cuisine and Food Culture
緑の暖簾と杉玉が迎える、加藤酒造店の外観。

日本酒から新潟の土地をたどる

佐渡という島を考えるとき、どうしても「金」に目が向きます。前の記事では佐渡金山を歩き、地下から掘り出された金銀が幕府の統治を支え、相川という都市を生み、近代産業や無名異焼にまでつながっていった歴史を追いました。

でも、佐渡を動かしてきた資源は地下にあるものだけではありません。国中平野には田んぼが広がって米が実り、そこにはトキが降り立ちます。そして酒蔵では、その水と米から日本酒がつくられています。

今回訪ねた加藤酒造店は、そのことをとてもわかりやすく教えてくれる酒蔵でした。金山で追ったのが「鉱脈」だとすれば、ここで追うのは「水脈」です。

1915年創業——佐渡の日常酒「金鶴」

加藤酒造店の創業は1915年(大正4年)、代表銘柄は「金鶴」です。その名には、佐渡金山の「金」と鶴子銀山の「鶴」が重ねられています。

とはいえ、金鶴は観光客に「佐渡らしさ」を売るためにつくられた酒ではないそうで、普通酒の「金鶴」は今も「地元佐渡の晩酌酒」として紹介されており、年間出荷量のおよそ7割が島内で飲まれているそうです。

なので、佐渡ではよく見かけるのに、島の外に出ると急に見つけにくくなります。都内では目黒の「Deguchiya」さんやアマゾンでも扱っていますが、このローカルさこそ、金鶴という酒の性格をよく表しているように思います。

蔵を丸ごと動かした理由は「水」だった

現地でお話を伺って、いちばん印象に残ったのが蔵の移転の話でした。

加藤酒造店は、もともと海に近い沢根で酒をつくっていました。四代目が目指したのは、軽やかでやわらかく、飲み飽きない酒です。ところが旧蔵の水質が変わってからどうしても重い酒質になってしまったといいます。

そこで島内の水脈を探し、たどり着いたのが金井でした。1993年、加藤酒造店は良い水を求めて製造場を沢根から金井へ移します。公式の蔵元紹介でも、この移転は今の金鶴を語るうえで大切な転機として記されています。

しかも現地に伺ったところ、移転先は何もない土地ではありませんでした。そこにはかつて別の家が酒をつくっていた蔵があり、評判もよかったものの、後継ぎがいなくて廃業していたそうです。一度途絶えた酒造りの場所に別の酒蔵が入り、残された建物と水で、ふたたび酒がつくられるようになったのです。

水が変わると、酒も変わった

金井に移ったことで、酒質ははっきり変わったそうです。旧蔵の酒から、より軽やかでやわらかい、新潟らしい淡麗な方向へ。移転の前後で、出荷量も約2倍になったそうです。

日本酒は米の酒ですが、できあがった酒の大部分は水です。洗米から仕込みまで、水は酒造りのあらゆる工程に関わります。ですから酒蔵にとって水は材料の一つではなく、蔵をどこに建てるかを決める条件そのものです。

伝統というと、同じ場所で同じやり方を、昔から変えずに続けることを想像しがちですが、加藤酒造店は、酒を残すために場所を変えました。守ったのは建物ではなく、酒造りそのものだったのだと思います。

次に変えたのは「米」だった

水の次に加藤酒造店が向き合ったのは、米でした。平成28酒造年度からは、原料米をすべて佐渡産に切り替えています。佐渡で育った米で酒をつくっています。

蔵が掲げる言葉に「made with Sado」がありました。佐渡「で」つくるだけでなく、佐渡「とともに」つくるという強い意思を受けました。

自分の実家でも兼業で米をつくっていて、田植えを手伝っています。だから米を単なる「原料」として見る感覚はあまりありません。田を起こし、水を入れ、苗を植える。植えたら終わりではなく、そのあとも水を見て、草と付き合い、秋まで手をかけ続けます。酒瓶の前に、まず田んぼがあります。

今回の旅では、田んぼに降りているトキを見ることができました。加藤酒造店では、トキのえさになる生き物が暮らせる田んぼを増やすため、環境に配慮した米づくりにも取り組んでいます。純米酒「拓」には、生き物を育む農法で無農薬・無化学肥料栽培された「たかね錦」が使われています。

発酵の音と、見えない危険

酒蔵を案内してもらう中で、もう一つ強く印象に残った話があります。

発酵中のタンクは、非常に危険だということです。

日本酒では、麹の酵素が米のでんぷんを糖へ変え、その糖を酵母がアルコールへ変えていきます。そのアルコール発酵の際には、大量の二酸化炭素が発生します。二酸化炭素は目に見えず、匂いもしません。しかも空気より重いため、発酵中のタンク内部では酸素を押しのけるように高濃度で滞留することがあります。

ホーローのタンクをかき混ぜるような作業では、万一の転落に備えてハーネスを使用すると説明を受けました。発酵中のもろみの上には、二酸化炭素濃度の高い空気がたまります。そこで顔を近づけて吸い込めば、酸欠によって意識を失う危険が。

さらに怖いのは、そのままタンクへ落ちた場合です。仮に顔が液面から出ていたとしても、その顔がある場所自体が二酸化炭素濃度の高い空間であれば、呼吸できる空気には戻れません。「酒が入ったタンクだから溺れる」というだけではないのです。酒造りの現場では、発酵そのものが命を生み出す現象であると同時に、人間にとっては危険にもなり得ます。

実際、酒造工場の発酵タンクへの転落事故は過去にも起きており、長岡労働基準監督署は2023年の死亡事故を受け、発酵タンク周辺への柵の設置や、設置が難しい場合の墜落制止用器具の使用などを酒造会社へ要請しています。

そして2026年4月には、秋田県横手市の酒蔵「大納川」で、田中文悟社長がもろみの入ったタンク内で倒れているのが見つかり、亡くなる事故がありました。タンクは深さ2メートル以上あり、内部にはもろみが入っていたと報じられています。

現地でこの話を聞いたとき、宮尾登美子の『藏』の一場面を思い出しました。目が見えなくなっていく烈が、酒蔵の中で発酵する酒の音を聞き、それをまるで踊っているようだと喜ぶ場面です。目では見えなくても、蔵の中では確かに何かが生きています。泡が立ち、音を発し、米と水が酒へ変わっていく。『藏』では、その発酵の気配が生命力として描かれています。

しかし実際の酒蔵へ入ってみると、その「生きている」発酵は、同時に大量の二酸化炭素を生み出す現象でもあることがわかります。

烈が耳で感じ取った発酵の生命感と、現代の酒蔵で教えられた発酵の危険性。

同じ現象を文学と現場の両側から見ることで、酒造りのイメージがより多面的になりました。

宮尾登美子『藏』——酒蔵は「家」でもあった

宮尾登美子の小説『藏』は、『鉄道員(ぽっぽや)』などで知られる降旗康男監督のよって映画化されています。主要キャストは、浅野ゆう子、一色紗英、松方弘樹、西島秀俊です。

舞台は、新潟の旧家であり蔵元でもある田乃内家。一人娘の烈は、幼いころから失明に至る目の病を抱えながら育ち、やがて自ら蔵元を継ぐことを決意します。

『藏』を読むと、かつての造り酒屋が単なる「会社」ではなかったことがよくわかります。家と土地と蔵があり、家族と使用人がいて、そこで酒がつくられていました。結婚も相続も跡取りの有無も、蔵の存続に直結していました。蔵を継ぐとは、職業を選ぶこと以上に、家そのものを背負うことでした。

『藏』と金鶴——「蔵を守る」とは何を守ることなのか

加藤酒造店が移った金井の製造場では、以前にも酒がつくられていました。けれど後継ぎがいなかったために、その酒造りは途絶えています。『藏』の物語の中心にあるのも、「誰が蔵を継ぐのか」という問題でした。

一方で加藤酒造店は、自分たちの酒を続けるために、長年酒をつくってきた沢根を離れました。ここには二種類の継承の問題があるように思います。人がいなければ蔵は続ず、そして同時に、場所を変えなければ酒を続けられないこともある、ということです。

旅の最後に、ぽんしゅ館へ

佐渡から新潟市に戻り、旅の最後に新潟駅の「ぽんしゅ館」に寄りました。水、米、蔵、田んぼの話を見てきたあとでは、日本酒売り場の見え方も少し違ってきます。

ぽんしゅ館の「唎酒番所」では、新潟県内の全酒蔵の代表銘柄を飲み比べることができます。佐渡、弥彦、南魚沼、村上、長岡、上越。同じ「新潟の酒」の棚に、まったく違う土地から来た酒が並んでいるのです。一つの県を酒瓶だけで旅できる、なかなか面白い場所だと思います。

今回は何本かをお土産に買って帰りました。選んだ酒を調べていくと、話はまた新潟の別の場所へとつながっていきました。

金鶴——島の中で飲まれてきた佐渡の酒

まずは金鶴(風和かぜやわらか)です。ここまで書いてきたとおり、佐渡の土地のなかで飲み継がれてきた酒です。水を求めて蔵を移し、米を佐渡産に戻し、田んぼの環境まで酒造りの一部として考える。金鶴を一本買うことは、加藤酒造店で聞いた話をそのまま家に持ち帰るような感覚がありました。

北雪——同じ佐渡から、世界へ

同じ佐渡でも、まったく別の方向へ進んだ酒があります。北雪is.

北雪酒造は1872年(明治5年)、佐渡南部の赤泊で創業しました。加藤酒造店が「島内で飲まれる酒」という性格を強く持っているのに対し、北雪は早くから島の外へ、さらに海外へと酒を送り出してきました。新潟県酒造組合の取材によれば、北雪の酒は世界5大陸に展開する日本食レストラン「NOBU」で扱われ、「純米大吟醸 NOBU」という酒までつくられています。

酒造りの方法も対照的です。北雪酒造は伝統的なやり方だけにこだわらず、遠心分離による上槽など、新しい技術を積極的に取り入れています。圧力をかけて搾るのではなく、遠心力で醪から酒を分けるのです。佐渡に根ざしながら、技術も市場も外に向かって開かれています。

弥彦の酒から、越後一宮へ

ぽんしゅ館で選んだ酒から、別の土地へも思いが戻りました。弥彦is.

私は以前、彌彦神社を目当てに弥彦を訪れたことがあります。観光地を巡るためではなく、越後一宮だからです。

彌彦神社の御祭神は伊夜日子大神、つまり天香山命です。神社の由緒では、天香山命は越後開拓の祖神とされ、漁業や製塩だけでなく、酒造りの技術も人々に伝えた神さまとして語られています。

彌彦神社では、一般的な二礼二拍手一礼ではなく、「二礼四拍手一礼」という参拝作法も受け継がれています。

雪男——一本の酒から『北越雪譜』へ

新潟の酒で、個人的に好きなのが「雪男」です。つくっているのは、1717年創業、南魚沼市塩沢の青木酒造です。

ラベルに描かれた毛むくじゃらの男は、現代につくられたキャラクターではなく、江戸時代の文人・鈴木牧之が記した『北越雪譜』に登場する「異獣」がもとになっています。『北越雪譜』では、魚沼の山中に現れる毛むくじゃらの異獣が、人から食べ物をもらうと、重い荷物を背負って道案内をしてくれる存在として描かれています。

青木酒造はこの異獣から「雪男」と名づけ、今では売上の一部を地元の山岳遭難防止活動に寄付しています。江戸時代の雪国の伝承が本に残り、その本の異獣が酒のラベルになり、さらにその売上が現代の雪山で人を助ける活動へと戻っていく。昔話を商品にしただけで終わらず、異獣が旅人を助けたという物語そのものを、今の社会活動へと置き換えています。

鈴木牧之『北越雪譜』——雪国を内側から記録する

鈴木牧之は、魚沼で暮らしながら、自分たちの土地の雪や暮らし、産業、動植物、風俗、伝承を記録しました。初編は天保7年に、二編も天保年間に刊行され、当時の越後魚沼の暮らしが挿絵とともに紹介されています。

佐渡で金鶴を追ったときは、水が酒の味を決めていました。南魚沼で青木酒造を追うと、今度は雪が酒をつくっています。積もった雪は春になると水になり、田畑を潤し、地下にしみこみ、やがて酒の仕込み水になります。青木酒造は巻機山の伏流水を使い、今では雪を利用した「雪室」で酒の貯蔵も行っています。

ここでは雪は、暮らしを苦しめる自然であると同時に、酒をつくる資源でもあります。『北越雪譜』が記録した世界と、今の酒造りは地続きかもしれません。

「牧之」という酒——文人の名前が酒になる

青木酒造と鈴木牧之のつながりは、「雪男」だけではありません。代表銘柄「鶴齢」の名づけ親も牧之でした。しかも新潟県によれば、青木酒造七代目の弥八は鈴木牧之の次男だそうです。つまり両者の関係は「地元の有名人とのコラボ」ではなく、家の歴史そのものがつながっているのです。

青木酒造には、その名を冠した大吟醸「牧之」もあります。『北越雪譜』を書いた文人の名前が、200年近くたった今も酒瓶に残っています。

宮尾登美子の『藏』では、酒蔵を継ぐ家族の物語を読むことができます。鈴木牧之の『北越雪譜』では、酒を生む雪国そのものを読むことができます。一方は家業の文学、もう一方は風土の記録です。

酒だけではない——金山と日本酒がお菓子になる

ぽんしゅ館では、日本酒だけでなく新潟らしい菓子もいくつか買って帰りました。その中で特に気に入ったのが、「酒チョコレートブラウニー 雪国れんが」と「うす氷 金山の延べ棒"is.

「雪国れんが」は、新潟の純米吟醸酒と酒粕を使ったブラウニー。チョコレートにクルミを合わせた濃厚な菓子ですが、日本酒と酒粕を使っています。新潟の酒文化を菓子へ展開した商品です。2025年にはジャパン・フード・セレクションのグランプリも受賞しています。

もう一つが「金山の延べ棒」。砂糖・白あん・寒天を使った新潟の創作和菓子「うす氷」を、佐渡金山の金塊に見立ててキャラメル味にしたお菓子です。金色のパッケージと延べ棒という造形はかなり直接的ですが、佐渡金山を歩いた後だけに、こうした土産物まで含めて面白く見えました。こちらも実際に食べて美味しかったです。しかも第26回全国菓子大博覧会で茶道家家元賞を受賞しています。

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