京都寺町・一保堂茶舗で考えたこと

一保堂茶舗の喫茶室で抹茶とともに供された透明感のある和菓子 Cuisine and Food Culture
抹茶とともに供された季節の和菓子。甘味のあとに茶を飲むことで、抹茶の味わいも変化する。

渡辺都『お茶の味』と茶道の実践から考える、一服の味をつくるもの

祇園祭の時期に京都を訪れた際、寺町通にある「一保堂茶舗 喫茶室 嘉木」へ立ち寄りました。

「一保堂」の創業は1717年、享保2年。近江商人の渡辺利兵衛が京都・寺町二条に開いた「近江屋」を起源とし、1846年に山階宮から「一保堂」の屋号を賜ったそう。現在も同じ寺町で茶を商い続けています。

「一保堂」の名前については、「茶、一つを保つように」という意味が込められていたと紹介されています。

一保堂は明治期には茶を海外へ輸出し、1995年には京都本店に喫茶室「嘉木」を開設。2006年からは茶の淹れ方を伝える教室も本格的に始めています。


『お茶の味』が書いているのは「お茶の商品知識」だけではない

オーナー夫人・渡辺都氏の『お茶の味 京都寺町 一保堂茶舗』を手に取って後日読みました。

目次には、「新茶のころ」「冷たい玉露」「抹茶のこと」といった茶そのものの話だけでなく、「急須のこと」、「茶碗と茶托」、「茶葉を保存する」、「茶事のよろこび」、「お稽古のこと」さらに、「季節感」、「祇園祭」、「名残」、「夕暮れ」、「紅葉」、「大晦日」と続いていきます。

つまり、この本で語られているのは、季節や道具、人との時間までを含めた経験としてのお茶の味です。

これは茶道を習っていると、とてもよく分かります。

以前、お稽古で茶歌舞伎をしました。これは数種類のお茶を飲み分けて、その種類や産地、銘柄を当てて競い合う伝統的な利き茶ゲームです。繊細な味や香りの違いを記憶し、一服ごとに修正がきかないプレッシャーの中で即座に当てなければならないためなかなか難しいゲームでした。

茶道とは、同じ手順を繰り返す稽古でありながら、実際には毎回条件が違います。本書に書かれているように、その差異に気づけるようになること自体が、稽古なのかもしれません。


濃茶と薄茶──同じ抹茶がまったく違う飲み物になる

嘉木」では濃茶をオーダーしました。基本的に「抹茶を飲む」というと、茶道における「薄茶」のことを指すと思います。「一保堂」では、お稽古の場や茶会以外でなかなか飲めない濃茶がいただけます。

薄茶(うすちゃ)濃茶(こいちゃ)の最も大きな違いは、お湯の量と抹茶の量です。言い換えると、濃茶は「ドロリとした濃厚なスープ状」で、薄茶は「サラッとしたお茶」です。

オーダーした茶碗を覗くと、とろりとした緑色の質感がありました。一般的な「一保堂」の目安では、薄茶なら抹茶2gに湯60ml。対して濃茶は抹茶4gに湯30mlだそうです。

原料はどちらも抹茶。けれど口に入れたときの感覚はほとんど別物です。薄茶では香りや泡、軽やかな苦味を感じやすい。濃茶では舌の上に茶そのものが残るような密度があり、旨味や甘味、苦味を一度に受け取ります。


濃茶を飲み終えたあとに、もう一杯が始まった

とくに印象に残ったのは、濃茶を飲み終えたあとでした。

茶碗には、まだ濃い抹茶が残っています。そこで湯を加え、茶碗に残った抹茶をすすぐようにして、今度は薄くなった茶としていただくよう勧められました。

一つの茶碗のなかで、

濃い → 薄い

と、味わいが移り変わっていきます。私には、この飲み方がとても印象的でした。

茶道の稽古で濃茶をいただくときは、基本的に一碗を数人で飲み回します。最後の末客まで回ってきても、とろりとした濃茶は茶碗の内側にどうしても残ります。茶碗に付着した抹茶まで完全に飲み切ることは難しく、私は以前から、あれを少し「もったいない」と感じていました。

本来、茶席では濃茶は濃茶、薄茶は薄茶として、それぞれ別の一服として扱われます。

だからこそ、一保堂で濃茶のあとに湯を注ぎ、茶碗に残った抹茶まで薄い茶として味わえたことが新鮮でした。

濃茶として十分に味わったあと、その余韻まで湯に溶かして飲み切る。

単に「残さず飲める」というだけなのですが、普段から茶碗に残る抹茶を見ていた私には、妙に腑に落ちる飲み方でした。しかも面白いのは、同じ茶碗、同じ抹茶なのに、湯を加えただけで味の輪郭が大きく変わることです。

ここでも改めて、お茶の味は茶葉だけで決まるものではないと感じました。

お茶の味をつくる、もう一つの材料──水

では、その味を大きく変える『湯』そのものは、何からできているのか。次に気になったのが、水でした。

一保堂京都本店では現在も井戸水が使われており、公式サイトでも、スタッフが煎茶を水出しする際に井戸水を注ぐ様子が紹介されています。中庭に井戸がありました。

茶葉が同じでも、水が変われば香りや渋味、旨味の感じ方も変わります。

茶道の稽古でも、抹茶や茶碗、茶筌に目が向きがちですが、茶碗の中身の大部分を占めるのは水です。そう考えると、「お茶の味」を考えることは、茶葉を見ることだけではなく、その土地の水を見ることなのだな、と感じました。


祇園祭の京都で、一服のお茶を飲む

偶然にも『お茶の味』の目次にも「祇園祭」という一篇がありました。

登場するのは、壮麗な山鉾や祇園祭の解説ではなく、著者の家に滞在していたカナダからの交換留学生が、長刀鉾の曳き手を務めることになったという、ごく個人的な出来事です。

草履で歩けば足が痛くなるから、指の間に絆創膏を貼っておいた方がいい。そんなアドバイスする場面があり、そこから著者自身が以前経験した祇園祭の記憶へと話が広がっていきます。

そして文章の最後に出てくるのが「お茶」です。炎天下で山鉾巡行に参加する留学生のために、冷たい麦茶を水筒に入れて用意しておこう、と著者は考え準備をしたそう。

ここに、この本の面白さが凝縮されているように思いました。千年以上続く祇園祭も、一保堂という三百年以上続く茶舗も、「伝統文化」という大きな言葉だけで存在しているわけではありません。

暑ければ冷たい茶を淹れる。誰かが帰ってくれば茶を出す。季節が変われば飲む茶も変わる。文化とは、大きな行事だけではなく、こうした小さな行為によって日常の中へ受け継がれていくものなのだと思いました。

今回、自分自身も祇園祭を見るために京都を訪れ、その同じ旅の中で寺町の一保堂へ向かいました。そして東京に戻れば、また茶道の稽古があります。

京都で飲んだお茶、本で読んだお茶、稽古で自分が点てるお茶。

それらが少しずつつながることで、「お茶の味」という言葉の意味も以前より広く感じられるようになっています。

一保堂茶舗 喫茶室 嘉木

Amazon.co.jp: お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) : 渡辺 都: 本
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