マルジェラはホテルに何をしたのか
「マルジェラ」と聞いて最初に思い浮かべるのは、なんでしょうか。
裏返されたジャケット、再構築された古着、白いペンキ、匿名性、足袋、アーティザナルでしょうか?
Maison Margielaには1999年から、インテリアやインスタレーション、装飾デザインを扱う「Line 13」が存在していました。現在のメゾン自身も、Line 13を「オブジェと出版物」のラインとして位置づけています。
その考え方が大規模な空間として実現した代表例のひとつが、パリ8区にあるホテル、La Maison Champs Élyséesです。
2014年、パリ・メンズファッションウィークを訪れた際にこのホテルに宿泊しました。
当時撮影した写真を十年以上経った現在あらためて見てみると、「マルジェラ風の白いホテル」ではなく、服で行われてきたデザイン思考がインテリア、家具、照明、壁や床の表面へ置き換えられた、かなり緻密な実験だったと気づきました。
もともとは19世紀の邸宅だった
La Maison Champs Élyséesがあるのは、パリ8区ジャン・グジョン通り8番地。現在の建物の歴史は19世紀まで遡ります。
1864年、リヴォリ公爵夫人でありエスリンク公妃でもあった女性がこの土地を取得し、建築家ジュール・ペルシュレによって邸宅が設計されました。建物は1866年に完成しています。その後1919年にはÉcole Centraleの卒業生組織が取得し、のちにホテルとして使用されるようになりました。
2010年から2011年にかけて行われた改装では、「メゾン・マルタン・マルジェラ」がコンペを経て選ばれ、17の客室・スイートに加え、レセプション、レストラン、バー、シガールームなどを手がけました。ホテル全体は57室で、マルジェラが担当した17室は「Couture」と呼ばれる客室群でした。
このホテルを「マルタン・マルジェラ本人がデザインしたホテル」と紹介する記事もありますが、厳密には「メゾン・マルタン・マルジェラ」のプロジェクトだそうです。
1|「本物」と「偽物」の境界



ホテルを歩いて最も頻繁に出会うのが、トロンプルイユ=騙し絵です。
たとえば床。一見すると古い木のフローリングのようですが、よく見ると木目がカーペットの上にプリントで再現されています。
客室では、ベージュのウールカーペットにペルシャ絨毯がプリントされた部屋もありました。歴史的な室内装飾そのものを写真に撮り、それを壁紙やカーテンへ転写したスイートまで存在します。
トロンプルイユをファッションへ取り込んだ代表例のひとつが、エルザ・スキャパレリです。1927年に発表した騙し絵のリボンを編み込んだセーターは大きな成功を収め、その後も彼女はシュルレアリスムと結びついた表現のなかで視覚的な錯覚を繰り返し用いました。
スキャパレリがシュールレアリスムとしてトロンプルイユを用いたのに対し、マルジェラの場合、トロンプルイユは、服の素材、厚み、構造と、その「イメージ」との関係を揺さぶる方法として機能しているように見えます。
マルジェラを象徴する有名なコレクションである1996年春夏コレクションでは、ヴィンテージ衣服を撮影し、その写真をレーヨンやガーゼなどの軽く流動的な素材へプリントしました
これは、そもそも私たちは何を見て、それを本物だと思っているのか。という問いを服で表現しているのではないでしょうか。
ホテルにおいても、木に見えるものが木である必要はあるのか。天井装飾は実際に彫刻されている必要があるのか。絨毯は織られていなければ絨毯ではないのか。服で表現した対象が服から床、壁、天井へ展開されていきます。
私が所有している騙し絵の扉のポスターも、その考え方がよく分かるものです。壁に一枚のポスターを貼るだけで、そこに本来存在しない「扉」が現れます。
La Maison Champs Élyséesでも、建築装飾をそのまま保存するのではなく、壁や床のイメージとして引用し直した表現が随所に見られました。
2|「白」は清潔感のためだけではない


写真を見返すと、ホテルのいたるところに白い布で覆われた椅子が登場します。椅子そのものの輪郭は分かります。しかし、張地や木部、装飾など、それぞれの家具が持っていた個性は白い布によって隠されています。
現在メゾンが公式に紹介している「Bianchetto」は、既存のアイテムの表面に白い塗料を重ね、使用と時間によって塗装が剥がれ、下にある素材が再び現れてくる技法です。
もちろん、ホテルの白い布とこのBianchettoは同じ技法ではありません。でも、
物に新しい装飾を加えるのではなく、いったん情報を消す。
というデザイン操作には共通するところがあります。
椅子を白い布で覆うことで、「ルイ15世様式」「ルイ16世様式」といった家具の歴史的な違いが薄くなります。すると逆に、背もたれの高さ、肘掛けの形、座面の幅といった「椅子の輪郭」が強調されます。
情報を減らすことで、元の物体を見直させるデザイン。
ARTISANALでは、既存の衣服や素材を再利用し、加工し、別の一着へと変換します。私が所有しているペイントデニムも、その考え方を理解するための一例です。
3|なぜ壁に「何もない絵」が飾られているのか



階段下の壁を撮った写真があります。壁には何本ものピクチャーライトが取り付けられています。ところが、その下に絵がありません。照明だけが、存在しない絵を照らしています。
2011年のホテル紹介資料にも、この壁には「過去には存在しなかった絵画の痕跡だけが残る」という趣旨の説明があります。通常、展示では作品が主体で、照明は作品を見るための補助装置ですが、このホテルでは関係が逆転します。
作品が消えて、作品を照らす装置だけが残っていると、私たちは、そこに「以前何かがあった」と勝手に想像します。存在する物を見るのではなく、存在しない物を想像してしまいます。
マルジェラには、こうした「不在」を利用するデザインが繰り返し登場します。手持ちのジャケットにもシールを剥がした後をプリントしたレザージャケットがあります。どんなシールが貼られていたんだろうと考えてしまうとても気に入っているジャケットです。
4|完成させないことで、構造を見せる


客室の写真を見ると、壁にはクラシックなモールディングがあります。ただし、それは完成していません。途中で突然切れています。施工途中なのではなく、それ自体がデザイン。
実際、マルジェラが手がけた3つのスイートでは、木製モールディングを意図的に途中で中断し、「未完成、あるいは制作進行中」の状態として見せていました。
普通の服では、縫い代、芯地、しつけ、裏側の構造などは完成すると隠されます。ところがマルジェラは、そうした「完成前に消されるもの」をデザインとして表面に出してきました。
ホテルもモールディングを最後まで施工すれば、私たちは「クラシックな壁」として何も考えずに通り過ぎます。でも、途中で切れているから、「これは装飾だったのか」、「どうやって作られているのか」と注意を払うようになります。
完成すると見えなくなる構造を、あえて意識させる方法です。
5|歴史を保存しながら、「歴史のイメージ」を重ねる



La Maison Champs Élyséesには、19世紀の邸宅だった時代の痕跡が残っています。階段、壁面装飾、モールディング、シャンデリア。ホテルを歩いていると、古いパリの邸宅が持っていた空間の骨格そのものを感じることができます。
しかしマルジェラが興味深いのは、その歴史を単純に「昔の姿へ戻す」だけでは終わらせなかったことです。実物の歴史的空間を残しながら、本物の建築の内部に、「建築の記憶」をもう一枚重ねる。
ここでも重要なのは、オリジナルとコピーのどちらが優れているかではなく、物そのものと、物について私たちが持っているイメージとの間に距離をつくることです。
この発想を考えると、Maison Martin Margielaが1994年から展開した「Replica」という考え方も興味深く見えてきます。Replicaでは、すでに存在した衣服やアクセサリーを、その出典や年代を示しながら再現します。
つまり「何もないところから新しい形を発明する」だけがデザインなのではなく、すでに存在するものを選び、それを別の時代、別の場所、別の文脈へ置き直す行為そのものをデザインとして提示したわけです。
そして2012年には、この「REPLICA」という名前がフレグランスにも展開されます。そこでは再現される対象が衣服から、「Beach Walk」「Jazz Club」「Lazy Sunday Morning」といった場所や時間の記憶へ変わります。
マルジェラの仕事を長い時間軸で見ていくと、そこには一貫して、「すでに存在するものを、どうすればもう一度違うものとして見ることができるのか」という思考が流れているように思えます。
La Maison Champs Élyséesについて改めて考えたことは、残された歴史の上に、歴史の複製や記憶を重ねることで、本物とイメージ、過去と現在の境界を曖昧にしたということです。
マルジェラの服を理解するなら、ホテルを見る意味がある



2014年にこのホテルに宿泊したとき、いちいち分析していたわけではありません。ヨウジのパリコレを見に行き、「マルジェラが手がけたホテルなら泊まってみたい」という単純な理由で選んだことが全てでした。
今回使っている写真は、十年以上前のiPhoneで撮った写真なので、現在のスマートフォンのような解像感はありません。それでも、今となっては別の価値があります。
ホテルは今後改装されるかもしれません。店舗も展覧会もショー会場も、永遠には残りません。しかし写真には、その時点で空間がどのように存在していたかが残ります。
写真の利点は、時間が経ってから、それをもう一度、研究できる状態にしておくことでもあります。La Maison Champs Élyséesの写真を見返して、改めてそう思いました。


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