明治神宮で御祈祷を受ける
10月1日、明治神宮へ参拝してきました。
明治神宮は時間を見つけてよく散歩しています。初夏には御苑を歩き、見頃を迎えていた花菖蒲や南池、隔雲亭、清正井を見て回りました。
今回は、以前いただいたお札をお返しし、改めて御祈祷を受けてきました。明治神宮での御祈祷については、2年前にもこのブログで一度書いていますが、その時はちょうどコープ・オリンピアの事務所を借り始めた時でした。
今回は、少し視点を変えて、明治神宮とはどのような場所なのか考えたいと思います。
そもそも、明治神宮とはどのような場所なのだろう



原宿駅を出ると左手にすぐ隣に巨大な鳥居と深い森が現れます。
明治神宮が創建されたのは1920年。毎日見ているこの森は、全国から奉献されたおよそ10万本の樹木からできています。つまり、20世紀に人の手によって計画された森で、100年前の人々が「未来の東京」に残そうとした風景でもあります。
明治神宮より古い「明治神宮御苑」



明治神宮の中で、以前から好きな場所の一つが明治神宮御苑。
前回、訪れたのは、花菖蒲が見頃を迎える初夏でした。森に囲まれた菖蒲田には、紫から淡い藤色の花が咲き、その奥には南池、隔雲亭、そして清正井があります。今回は北口から入りました。
現在では明治神宮の一部として完全に溶け込んでいるため、神宮の造営と同時につくられた庭のようにも見えますが、実は、この御苑の方が、明治神宮そのものより歴史があります。
江戸時代、この一帯には加藤家の下屋敷があり、その後、彦根藩主井伊家の下屋敷でした。明治維新後には皇室の「南豊島御料地」と呼ばれるようになります。
つまり、先に庭があり、その後、この土地に明治神宮が創建されています。
昭憲皇太后のために整えられた庭



明治時代になると、この庭は明治天皇と昭憲皇太后に深く関わる場所となっていきます。
現在の隔雲亭周辺からは、南池を見下ろすことができ、御苑は単に植物を集めた場所ではなく、自然の中を回遊するための空間として構成されていることがわかります。明治神宮によれば、身体があまり丈夫ではなかった昭憲皇太后に散歩をしてもらうため、明治天皇の意向によって1893年頃から遊歩庭園として整備されたそうです。
そして、隔雲亭は、1900年に明治天皇が昭憲皇太后の休息所として建てられたもので、当初の建物は戦災で焼失し、現在の建物は1958年に再建されています。
一般的な日本庭園のように岩石や強く刈り込んだ樹木を多用するのではなく、既存の地形を生かし、緩やかな小径や簡素な建物を配置していることも、この庭の特徴かも知れません。
初夏に見た花菖蒲と、10月の菖蒲田



初夏の御苑で最も目に留まるのは、やはり花菖蒲でした。明治時代、明治天皇が昭憲皇太后のために花菖蒲を植えさせたことが、現在まで続く菖蒲田の原点となっています。
現在、御苑では約150種、1500株の花菖蒲が育てられ、紫、白、淡い藤色の花を咲かせます。今回は、10月ということもあって夏の華やかさが消えているものの、低い草地と東屋、周囲の森の輪郭がよく見えました。
来月あたりになると紅葉の時期で人がたくさん訪れそうです。
清正井から南池へ——水で読む御苑



御苑の奥には、清正井があります。類まれなる建築技術の才能をもった加藤清正が掘ったと伝えられている井戸で、現在も毎分平均約60リットルの水が湧き、水温は一年を通じて15度前後だそう。
井戸の水は南池(なんち)に流れ込みます。初夏には水面にスイレンも咲いています。
「100年後の森」は、原宿駅のホームにまで続いている



1912年に明治天皇、1914年に昭憲皇太后が崩御した後、二人を祀る明治神宮の創建が進められました。
現在の深い森を見ると想像しにくいですが、現在のような森林ではなっかたそうです。そこで林学者や造園家たちは、単に大量の木を植えて景観をつくるのではなく、長い年月をかけて森そのものが自律的に更新していく仕組みを考えます。
全国から集められた樹木を配置し、成長の早い木から、その土地に適した常緑広葉樹へと植生が移り変わっていくように、未来に完成していく森を設計したそうです。
明治神宮が創建されたのは1920年。それから100年以上が経った現在、その計画の結果を、少し変わった場所で実感することがあります。
原宿駅のホームに現れる小さな友だちたち



原宿の事務所で仕事をしていると、作業が朝まで続くことがあります。始発に乗るため原宿駅へ向かい、まだ人の少ないホームを歩いていると、ときどき足元にクワガタやカブトムシを見つけます。
以前には、立派な大顎を持ったノコギリクワガタを見つけました。初めて見たときには、原宿駅という場所との組み合わせがおかしくて驚きました。一瞬、別の黒い物体かと思い、避けるように歩いていました。
竹下通りも表参道もすぐそこにあります。世界的なブランドの店舗や観光客で埋まる街の駅に、クワガタやカブトムシが歩いている。でもよくよく考えると、線路のすぐ後ろは、明治神宮の杜です。
人が100年後を想像して条件を整え、その後は樹木が育ち、枯れ、次の世代が生まれ、生き物が入り込むことで、森そのものが時間を重ねてきたことがわかります。
日本酒の菰樽と、向かい合うワイン樽



明治神宮の参道を歩いていると、面白い風景があります。日本酒の樽が沢山奉納されています。全国各地の銘柄が並ぶ光景は、神社というか、日本的で海外の方には特に撮影スポットになっていました。
その向かい側にはワイン樽がずらりと並んでいます。明治天皇が西洋文化を積極的に取り入れ、葡萄酒も好んだことにちなみ、ブルゴーニュ地方のワイン樽が奉納されるようになったそう。最初の奉納は2006年。
日本酒とワイン。伝統的な祭祀の空間の中に、明治という時代そのもののような「和」と「洋」が向かい合っています。
御祈祷へ



手水舎で清めてから、以前いただいたお札を古神符納所へお返して、神楽殿へ向かいます。神楽殿では、大太鼓が打たれ、お祓いが行われ、神職によって祝詞が奏上されます。
その後、巫女が季節の花を手に「倭舞(やまとまい)」を舞ってくれます。実はこの倭舞は、古代からそのまま伝えられてきた舞ではなく、明治神宮によれば、神楽殿で御祈願を受ける人のためにつくられた、明治神宮独自の舞だそう。。
祈りを自分で「結ぶ」——祈願御幣


御祈祷では、祝詞奏上の間、祈願御幣を持ってそれぞれが祈ります。拝礼を終えると、御神酒を一口田抱き、この御幣は持ち帰ります。そして、授与された「祈祷御守護」、つまりお札に「結びの緒」と呼ばれる紐で結び付けます。
御幣が入っていた紙袋の裏の説明には「結ぶ」という言葉についても書かれています。『古事記』に登場する造化三神の名にも「産巣日(むすひ)」という言葉があり、何かを生み、成長させ、関係を結ぶという意味が重ねられてきたそう。
御社殿の前には「夫婦楠」があります。2本の楠が並び、注連縄で結ばれています。その姿を見たあとに、祈願御幣を自分の手でお札へ「結ぶ」という説明を読むと、「結ぶ」という言葉が体現されていることに気づきます。
鳥居の外のもう一つの20世紀


明治神宮の杜から原宿駅へ戻れば、景色は一気に変わります。そこには戦後につくられた建築、ファッション、写真、音楽、若者文化の原宿がの街が広がっています。
なかでも、原宿駅のすぐそばに建つコープオリンピアは1965年竣工。明治神宮の創建から、わずか45年後、東京オリンピックの1年後に完成。
1920年の明治神宮と1965年のコープオリンピア。
近代日本がつくった神社と100年後を見据えた森と東京オリンピックを経て急速に変化していく戦後東京の都市生活。その二つが、原宿駅を挟んでほとんど隣り合っています。
そして現在、コープオリンピアを自分は仕事場として使っています。明治神宮へお札を返しに行き、その鳥居を出て数分歩けば、自分の制作場所へ戻れます。
1964年東京オリンピックと、その翌年に完成したコープオリンピア。明治神宮の杜のすぐ外側に生まれた、戦後の原宿を別の機会に辿ってみたいと思います。


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