大山詣りと「信仰する旅」の記憶

各地から大山を目指した参詣者たちの移動がより具体的に感じられる。
神奈川県伊勢原市にある大山。
現在では登山や観光で訪れる人も多い山ですが、江戸時代、この山には年間20万人もの人々が訪れたと伝えられています。当時の江戸の人口は約100万人。その規模の大きさが分かります。
なぜ、それほど多くの人が大山を目指したのでしょうか。
そこには、単なる「神社参拝」では説明しきれない、江戸庶民の信仰と旅の文化がありました。
「雨降山」と呼ばれた山
大山阿夫利神社が鎮座する大山は、古くから「あめふり山」とも呼ばれてきました。山上に雲や霧が発生しやすいことから、雨乞いや五穀豊穣を祈る霊地として信仰されてきたといいます。
主祭神の大山祗大神は山の神、水の神として信仰され、さらに高龗神(たかおかみのかみ)という水神も祀られています。
農業にとって、雨は生命そのものです。降らなければ作物は育たない。でも降りすぎれば災害になる。自然の恵みと恐ろしさ。
その両方を前にした人々の祈りが、大山という山へ集まっていったのでしょう。
江戸庶民を動かした「大山講」
江戸時代、大山詣りの多くは「講」と呼ばれる集団によって行われました。町内や同業者などで講をつくり、皆で費用を積み立て、順番に代表者が大山へ向かいます。
御岳山にも「御嶽講」がありましたが、大山にも同じように大山講が存在しました。大山詣りにおいては、それが「庶民の旅」に近かったことです。
富士山へ参詣するとなれば日数もかかり、当時は関所を越えるための手形も必要でした。一方、大山なら江戸から比較的近く、江の島や金沢八景などへ立ち寄っても数日程度で帰ることができた。
信仰でありながら、行楽でもある。そこに、大山詣りが爆発的な人気を得た理由の一つがあったようです。
山は、祈る場所であり、遊ぶ場所でもあった
大山を登ってみて改めて感じたのは、昔の参詣者と現代の登山者を、あまり簡単に切り分ける必要はないのかもしれないということです。
江戸の人々も、ただ苦行のためだけに山へ来たわけではありません。仲間と歩き、宿に泊まり、食事をし、景色を眺め、土産を買い、時には江の島などへ足を延ばした。
その中心に「五穀豊穣」などの自然への祈りがあった。
現代の私たちも、神社へ参拝し、山へ登り、食事をして、茶を飲み、景色を写真に残します。もちろん信仰のあり方も、社会も大きく変わりました。
それでも「わざわざ日常から離れ、山へ向かう」という行為そのものには、時代を越えて共通するものがあるように思います。
山頂まで登って分かる、大山詣りの身体性



江戸から歩いてきた参詣者たちにとって、
ここへ到達することは大きな身体的・精神的体験だったはず。
大山阿夫利神社下社までなら、現在はケーブルカーを利用することができます。
しかし、参道である登山道から、神社を経由して奥社のある山頂を目指すと、一気に登山になります。
石段を登り、岩の露出した道を歩き、杉林を抜け、さらに標高を上げていく。途中では鹿にも出会いました。
そして振り返れば相模平野が広がり、場所によっては遠く富士山を見ることもできます。
山頂は標高1,252メートル。
数字だけを見れば、関東の登山では高い山ではありません。けれども、江戸から歩いてきた参詣者のことを考えると、この山頂の意味は違って見えてきます。
彼らは登山口から歩き始めたのではなく、町を出て、大山街道を通り、何十キロも移動した先にこの山がありました。そこからさらに自分の足で山へ登る。
そう考えると、大山詣りとは「神社へ行くこと」ではなく、移動そのものを含めた大きな身体的体験だったのだと思います。


江戸から続く「大山への道」
大山詣りの文化を知るうえで面白いのが、「大山街道」です。
現在の東京や神奈川には、今でも「大山街道」という名前が残っています。
江戸から赤坂、二子、溝口、長津田、厚木、伊勢原方面へと続き、大山を目指した参詣者たちが歩いた道です。
現代では道路や住宅地の中に埋もれてしまった場所も多いですが、地名や道標を辿ると、かつて大勢の人々が同じ方向へ歩いていたことが分かります。
神社だけを見るのではなく、山、街道、宿、講、御師、参詣者。これらを一つのシステムとして見ると、大山信仰の規模が理解しやすくなります。
御岳山の記事で「山と里を結ぶ回路」という言葉を使いましたが、大山ではその回路が街道として、よりはっきり地上に残っているように感じます。
下山後に食べることも、大山という体験の一部



今回の大山では、登山だけでなく食事や甘味も楽しみました。
山頂ではガスでお湯を沸かして温めたカレーをみんなで食べて、大山阿夫利神社下社の「茶寮 石尊」では、抹茶と甘味でひと休みしました。
こうした体験を記事に入れることには意味があると思っています。なぜなら、大山詣りはもともと「祈祷だけをする旅」ではなかったからです。
参詣者を受け入れる宿坊があり、街道沿いには店があり、食事があり、土産があった。人が大勢やって来れば、その周囲に関連した商いも生まれます。
信仰が人を動かし、
人が動けば文化と経済が生まれる。
現在の大山参道に飲食店や土産店が並んでいるのも、その長い歴史の延長線上にあります。
そう考えると、登山の途中で一杯の抹茶を飲むことさえ、大山の歴史から完全に切り離された行為ではないように思えてきます。
『オオカミの護符』から見えてきた三つの山



この一連の記事を書くきっかけになったのは、小倉美惠子さんの『オオカミの護符』でした。
川崎の古い家に残されていた、一枚の狼の護符。そこから御岳山へ向かい、講や御師の存在を知る。さらに本を読み進めると、三峯や大山など、関東各地の山岳信仰へと世界が広がっていきます。
武蔵御嶽神社では、オオカミを神格化した「大口真神」が「おいぬ様」として信仰されてきました。そこから見えてきたのが、御嶽講や御師という、山と里を結ぶ仕組みでした。
三峯神社でもオオカミは神の使い、「御眷属」として信仰されています。二つの山を続けて見ることで、同じオオカミ信仰でも、それぞれの土地で異なる形をとってきたことが見えてきます。
大山では、オオカミではなく「講」と「御師」を手がかりにしてみました。見えてきたのは江戸の人々が集団で山へ向かい、祈りと行楽を一つの旅として楽しんでいた「大山詣り」の文化でした。
御岳と三峯では、山とオオカミの関係を見る。大山では、山と人間の移動を見る。同じ「山岳信仰」という言葉で括ることはできますが、それぞれの山にはまったく違う文化があります。
都内から大山阿夫利神社へのアクセス
公共交通機関を利用する場合は、新宿から小田急線で伊勢原駅へ向かうルートが分かりやすいです。
Shinjuku Station
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小田急線
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伊勢原駅
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北口から「大山ケーブル」方面のバス
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大山ケーブル バス停
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こま参道を徒歩
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大山ケーブル駅
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ケーブルカー
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阿夫利神社駅
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大山阿夫利神社 下社
下社までならケーブルカーを利用できます。
下社から大山山頂へ向かう場合は登山になります。
登山靴、水分、天候に応じた防寒・雨具などを準備し、余裕を持った行程で歩くことをおすすめします。


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