表参道のStand ByでNEIGHBORHOODの「インセンスチャンバー」展を見てきた。
ブランドとしての世界観の統一感。陶器という素材を使いながらも、ただの工芸品ではなく、NEIGHBORHOODらしいカルチャーの匂いがきちんと残っていた。

ただ、作品を見ながら少し別のことを考えていた。それは、「ヴィンテージを参照すること」と「ヴィンテージを再編集すること」は、似ているようでかなり違うのではないか、ということだった。
古いアメリカ雑貨やノベルティ、スーベニア、怪奇趣味の置物。そういったものには強烈な魅力がある。チープで、少し不気味で、でも妙に愛嬌がある。大量生産品でありながら、時間が経つことで独特の存在感を持ってしまう。僕自身もそういう20世紀の物にずっと惹かれてきた。

だから、今それを陶器で作ることにとても興味がある。
ただ、元になったものをそのまま移し替えるだけだと、最終的には「よくできた再現」に近づいてしまう。もちろん、再現にも意味はある。素材を変えること、大きさを変えること、展示空間に置くことによって、見え方は変わる。
今試しているのは実在したヴィンテージをそのまま作ることではなく、複数の記憶や資料を組み合わせて、「存在しなかったヴィンテージ」を作ること。
たとえば、古い玩具、映画の怪物、アメリカの雑貨、昭和のパッケージ、ファッションのディテール、広告、道端に残っていた看板、かつて見た建物の外壁。そういう断片を集めて、調べて、分解して、もう一度組み直す。
すると、実際にはどこにも存在しなかったはずなのに、なぜか「昔からあったように見えるもの」が立ち上がってくる。
自分にとっての陶器は、そのための素材としてとても面白い。

陶器は硬くて、重くて、壊れやすい。日用品でもあり、工芸品でもあり、土産物でもあり、骨董にもなる。時間を吸い込む力がある素材だと思う。プラスチックや紙や布でできていた一時的なものを陶器に置き換えると、その物が急に「残ってしまうもの」になる。
つまり、エフェメラを陶器にするということは、本来は消えていくはずだったものに、無理やり重量と時間を与えることなのだと思う。
今回の展示を見て、自分の中でその違いが少しはっきりした。
ヴィンテージをそのまま再現するのか。
それとも、ヴィンテージの記憶を使って、架空の過去を作るのか。
どちらが正しいという話ではない。
引用ではなく、再編集。
再現ではなく、再構成。
懐かしさではなく、まだ見たことのない陶器。

良い展示を見ると、単に「好きだった」「面白かった」で終わらない。むしろ、自分なら何を作るのか、自分は何を作りたくないのかが見えてくる。
その意味で、今回の展示はとても良い時間だった。
作品を見ることは、自分の作品を考えることでもある。
ただ古いものを懐かしむのではなく、20世紀の記憶を拾い集めて、今の手で別の形に作り直したい。


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