-読書が持つ負の側面について-
ポイント
・新しい本よりは、古典・良書を読もう
・良書は熟読、読み直しをしよう
・本を読むよりは、自分の頭でよく考えることの方がよい
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」一流の文章家であり箴言警句の大家であったショウペンハウエル(1788‐1860)が放つ読書をめぐる鋭利な寸言、痛烈なアフォリズムの数々は、出版物の洪水にあえぐ現代の我われにとって驚くほど新鮮である。-帯-
「読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持ちのなるのも、そのためである。」
「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、神に読者のものとなる。」
「悪書を読まなすぎるということもなく、良書を読みすぎるということもない。悪所は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす。」
「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。」
アルトゥル・ショウペンハウエル(1788-186)は、ドイツ生まれの哲学者。主著は「意思と表象としての世界」、「幸福について」など。
今回はショウペンハウエルの読書についてのまとめです。「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。」と序盤から多読についての負の側面を主張していきます。特に、売るためだけに書かれた書籍については辛辣で、読めば読むほど馬鹿になる、精神が崩壊していくと主張します。自分だけによるの思索や思考から生まれた知恵こそが一番貴重であると説き、その答え合わせをするために本を読むなら良しとします。
2章の著作と文体では、母国語のドイツ語と当時の高級言語とされていたラテン語との比較論や文法の用法、冠詞の付け方まで言及していきます。匿名批評家が悪書を大衆に薦め、お金と時間を搾取することは罪深いと主張しています。
最終章の読書についてでは、それでも本を読みたい方には、古典の熟読を薦めています。強迫観念を持ったかのように書店に溢れる新刊を貪るのではなく、教科書に挙げられている書籍こそ本当に読むべきで、著者とその著書の名前だけ知っていれば良いという風潮を嘆いています。隆盛を極めた時代の空気・精神性は30年周期で反対の価値観に変わるため、1世紀以上読み継がれている書籍を薦めています。
投稿第一弾としてショウペンハウエルの「読書について」取り上げてみました。最近、断捨離で書籍を大量に処分しました。これからは古典にフォーカス。カルチュラルスタディーズの一環として、長年読み継がれた書籍を読み込んでいきます。
1回目読了2021/05/10
ご拝読ありがとうございました。それでは、さようなら。気をつけて:)
著者: アルトゥルショウペンハウエル 訳: 斉藤忍随 文庫本: p158 出版社: 岩波文庫
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